庚子の意味 – 2020年の干支を考える
干は幹、支は枝で、生命・創造・造化の過程を表すものにほかならない。その庚は更に通じ、更新を意味し、なおまた継ぐ・償うの意があり、庚々といえば、明瞭な変化の相であり、確乎たる様である。 「子」は何を意味するかというと、「子...
干は幹、支は枝で、生命・創造・造化の過程を表すものにほかならない。その庚は更に通じ、更新を意味し、なおまた継ぐ・償うの意があり、庚々といえば、明瞭な変化の相であり、確乎たる様である。 「子」は何を意味するかというと、「子...
「己」は紀を省略したもので、紊れた糸すじを通すこと、即ち前年の戊の繁茂によるごたごたを解消して、筋を通すことを意味します。 亥は「説文」によれば、亠即ち上と、その下に二人と孕むを表す文字で、「核なり、百物を収蔵す」(釈名...
有妍必有醜、為之対、我不誇妍、誰能醜我、有潔必有汚、為之仇、我不好潔、誰能汚我、 妍(けん)あれば必ず醜ありて、これが対を為す。我、妍に誇らざれば、誰か能く我を醜とせん。潔あれば必ず汚ありて、これが仇を為す。我、潔を好ま...
「ニュースピークの真価を理解していないな、ウィンストン。(中略)ことばの破壊が持っている美しさが分かっていない。ニュースピークが年ごとに語彙を減らしている世界で唯一の言語であることを知っているかい?」 「分かるだろう。ニ...
本来の干支は占いではなく、易の俗語でもない。それは、生命あるいはエネルギーの発生・成長・収蔵の循環過程を分類・約説した経験哲学ともいうべきものである。 即ち「干」の方は、もっぱら生命・エネルギーの内外対応の原理、つまりc...
丁の上の一は、陽気の代表的な干である去年の丙の上の一(一は陽気を表す)を承けて、さらに陽気が進んだ段階を示しております。したがって、春から延びてきた陽気の最後的段階、季節でいうならば四月、五月に当たります。しかしその頃に...
若一知其姓名、則終身不能復忘、固不如毋知也。且不問之,何損、 もしひとたび姓名を知らば、終身また忘るる能わず。もとより知るなきに如かざるなり。かつ、之を問わざるも何の損ぜん。 (宋名臣言行録 丞相許国呂文穆公 呂蒙正...
「礼」とは何か。およそ存在するものはすべてなんらかの内容をもって構成されている。その全体を構成している部分と部分、部分と全体との円満な調和と秩序、これを「礼」という。 (安岡正篤 『知命と立命』より抜粋) 中国思想、そ...
国語という教科は、広い意味での文科学、ないしは人文的な知識の代表という意味があるのに対して、算数の方は、広義の理科的なものの基礎をなす教科といえましょう。つまりこういうわけで、国語と算数とは、広義におけるわれわれ人間の人...
天才とは努力し得る才だ、というゲエテの有名な言葉は、殆ど理解されていない。努力は凡才でもするからである。然し、努力を要せず成功する場合には努力はしまい。(中略)天才は寧ろ努力を発明する。凡才が容易と見る処に、何故、天才は...
無差別智は純粋直観といってもいいし、また平等性智といってもいいが、一言でいえば自明のことを自明と見る力である。これがあるから知能に意味があるので、これを無視した知能の強さというのは正しくいえば「物まね指数」にすぎない。 ...
ニュートンの時間がすでにわからないのです。物理学として説明がつくということはわかりますけれど、ああいう時間は、素朴な心の中にはないわけです。アインシュタインはそれを少しもじったともいえますし、そのままともいえるかもしれま...
「丙は炳なり」と炳の文字を当てはめてある。あきらかとか強いといかいう意味であります。文字学的に言うと、丙の上の一は思い切って伸びる陽気を表し、冂はかこいを表す。それに入という字を書いてある。陽気が囲いの中にはいる、つまり...
井魚不可以語於海者、拘於虚也、夏蟲不可以語於冰者、篤於時也、 曲士不可以語於道者、束於教也、 井魚は以て海を語るべからずとは、虚(墟)に拘(とら)わるればなり。夏虫は以て冰を語るべからずとは、時に篤(固)ければなり。曲士...
不知命、無以為君子也、不知礼、無以立也、不知言、無以知人也、 命を知らざれば、以って君子と為るなし。礼を知らざれば、以って立つなし。言を知らざれば、以って人を知るなし。 (論語 堯曰第二十 三) 命・礼・言を知るをも...
いささかよければ事たりぬ。十分によからん事を好むべからず。是皆、わが気を養なふ工夫なり。 (貝原益軒 養生訓 卷第二 三十六) 貝原益軒の『養生訓』には、養生のためには安心を得ることが大切であると繰り返し説かれてい...
私はよく学生に、「物事を整理してしまわないように」と言っています。「君が捨ててしまったそれは、消してはいけない」と。 学生が「描いているうちに、消してしまいました」と言ったら、「その中に大切なものがあるかもしれない。消さ...
忿(いかり)を絶ち、瞋(いかり)を棄て、人の違うを怒らざれ。人皆心あり、心各(おのおの)執るところあり。 彼是とすれば、則ち我は非とし、我是とすれば、則ち彼は非とす。我必ずしも聖に非ず、彼必ずしも愚に非ず、共に是れ凡夫の...
万の事はしらざる故に不審あり。うたがはしき故に、その事が胸をのかざる也。道理があきらかにすめば、胸に何もなくなる也。是を知をつくし、物をつくすと云う也。 (柳生宗矩 『兵法家伝書』 より抜粋) 『兵法家伝書』は進履橋...
このあいだ、植物学者に会ったとき、椿の花が仰向けに落ちるわけを、だれか研究した人があるか、と聞いてみたが、たぶんないだろうということであった。 花が樹にくっついている間は植物学の問題になるが、樹をはなれた瞬間から以後の事...