甲辰の意味 – 2024年の干支

甲はよろいで、鱗 — よろいをつけた草木の芽が、その殻を破って頭を少し出したという象形文字で、これを人事に適用いたしますと、旧体制が破れて、革新の動きが始まるということを意味しておる。そこでこれを実践的に考えると、この自然の機運に応じて、よろしく旧来のしきたりや陋習を破って、革新の歩を進めねばならぬということになるわけであります。

「辰」は震に通ずる文字で、伸の義に解するなど、いろいろな解説があります。説文学から言いますと、要するに寅、卯と来まして、ここで初めて非常に陽気に行動的になる。物事の活動力が依然として盛んになるわけです。(中略)とにかく「辰」は、「今まで内に蔵されておった、あるいは紆余曲折しておった陽気、活動が、外に出て活発に動く」ということを意味しておるわけであります。

(安岡正篤  『干支の活学』より抜粋)

壬寅(じんいん/みずのえ・とら)癸卯(きぼう/みずのと・うさぎ)という流れの中で、少しずつ内容が膨らんでいき、信頼できる人に任せたり、仲間と手を取り合いながら、煩雑や混乱も含みながら筋道を立てて内側に大きなエネルギーが蓄えられてくる。それに続くのが、2024年の干支である「甲辰(こうしん/きのえ・たつ)」となります。

甲 – もののはじめ、若芽

甲(きのえ)は十干の最初であり、10年ぶりに一回りしたことになります。その象は、まだ殻が破れきっていない草木の芽とされることが多いですが、白川静は古い卜文や金文の観点から、亀の甲羅を熱して、その割れ目で占う殷代の亀卜(きぼく)における裂け目の形としています。

卜文・金文の字形は十字形に作り、亀甲の坼(さ)けている形であろう。その形は篆文や古文の字形と大いに異なる。[説文]に五行説をもって字形を説き、「東方の孟(はじ)めなり。陽气萌動す。木の孚甲(ふこう、若芽)を戴くの象に従う」とするが、全く字形に合わぬ説である。(中略)亀卜は殷の安陽期に入ってあらわれるが、文字は卜法の発達とともに形成されてきており、そのとき日の干支がすでに用いられている。

(中略)十干の首にあるところから、すべてもののはじめをいい、官位秩禄や考科の首にあるものを、甲を冠していうことが多い。

(白川静  『字統』より抜粋)

十干十二支は、元々は暦のための単なる記号であり、いわゆる「干支」的な解釈は時代が下る中で形成されたものと考えられるため、干支としての解釈が文字の起源から外れていることは特に不思議ではありません。本来の暦においても「甲」が始まりであることは変わりはなく、漢字の形が整理されていく中で「若芽」の象も取り入れながら、意味づけられていったと考えるのが自然なように思います。

 

癸卯においては、まだ内部に閉じ込められていた陽気が、芽を出し、殻を破って、新たな生成の段階へと進む。しかし、まだ芽は出たばかりで、それは弱々しくもあります。

「甲」は「かいわれ」、草木の鱗芽が外に発現する形象で、「はじめ」を意味し、したがって「はじまる」とも訓む。また「狎」に通じ、「因甲于内乱」(書経多方)は「内乱になれる」である。さらにまた、創制の法令をも意味する。旧年の殻を破って新しい形勢が始まる。新政令も出る年ということを意味するが、これにもまた依然として狎れやすい。

(安岡正篤  『干支の活学』より抜粋)

新しい芽は幼さゆえに、けじめがなく、なれなれしくて、だらしないということになりやすい。その芽がぐんとのびると「申(伸)」となって1本の筋が通りますが、「甲」ははじめであるから、十分慎重に、慎んで進めまなければならないということだろうと思います。

辰 – 活発に動き、外に出てくる

辰(たつ)という字にはさまざまな解釈があり、

辰の厂の次に書いてある二は、上・天・神・理想を表す指示文字で、振・伸・震と相通ずる意味を持っている。

(中略)「辰」の字も多くの考注があるが、手で崖石を動かす象とする説など、「卯」が未開墾地の開拓をも意味することを受けておもしろい。また一説には辰は蜃の本字で、固く殻を閉じておった貝が陽気につれて殻を開け、中身を出して動く象としており、前掲の釈名(せきめい)に「辰は伸なり。物みな伸舒して出ずるなり」とあるのも首肯される。

(安岡正篤  『干支の活学』より抜粋)

などとある。説文学の視点からは、二枚貝が足を出して動いている様子から「辰」という文字ができているという考えを白川静も採っています。

蜃蚌(しんぼう)など貝の類が、足を出して動いている形。辰は蜃の象形で、蜃の初文。[説文]に「震ふなり。三月、易气(ようき)動き、靁電(らいでん)振ふ。民の農時なり。物皆生ず。乙・匕に從ふ。匕は芒逹(草木の芽)に象る。厂聲。辰は房星、天時なり。二に從ふ。二は古文の上の字」(段注本)という。字を乙と匕と上とに從うて厂声とするが、五行説によるもので、字説として形義ともに当たるところがない。

(中略)蜃は古く草刈りの器として農耕に用いられ、農の字も辰に従う。(中略)星宿の説が行われるようになって、辰を蠍座(さそりざ)の大火などにあて、農時を定める儀礼と関連するようになった。それで農時の意ともなり、字の解釈にその観念が入りこんで、[設文]のように不可解な解釈を生じたのであろう。

(白川静  『字統』より抜粋)

蜃蚌はハマグリやカラスガイといった二枚貝のことですが、蜃気楼という言葉に出てくる蜃は「みずち」という竜のような姿をした伝説上の生き物を指し、瑞龍である蜃が吐き出す息によって楼が形づくられるという伝承から生じているようです。

二枚貝が殻から足を出して動かす様子にせよ、瑞龍が気を吐きながら天に上る様子にせよ、その壮大さに違いはあるものの、目に見える形での静から動、それも活発に動いて、周囲に影響を及ぼし始めるという感じがします。

 

外に出てくるのは陽気ばかりではなく、善悪のいろいろな問題が活発に動いてくる。これまでの取り組みで、しっかりと陽気を蓄えていればいるほど、震え、伸びる力は強いものになるだろうと思います。

甲辰 – 困難にも努力し、革新の芽を育てる年

「甲」はまだ顔を出したばかりの若芽で弱々しく、気候・季節から見てもぐんと強く、大きく芽を伸ばすことができる時期ではありません。若芽は大切に、慎重に育てて、伸ばしていく必要があります。

一方で、「辰」の字を見ると、これまでに蓄えてきた陽気はもちろん、さまざまな紆余曲折も外に出てきて、動き始める。癸卯では「筋道を通すこと」が大切とされましたが、それを怠っていると、それらが現実の混乱、混沌として、「甲」の成長を妨害してしまうということにもなります。

 

そこで、2024年の甲辰は、

いろいろな抵抗や妨害、困難もある中で努力をしながら、革新の芽を大切に育てて慎重に伸ばし、革新の歩みを進めていくべき年

ということになろうかと思います。2023年の癸卯までに、信頼や規律をしっかりと築けていれば、より伸ばしやすくなりますが、仲間との関係や筋道を通すことをおろそかにしてしまっていると、妨害が強く、芽の延び方は苦しいものになるだろうと思います。

 

甲辰には乙巳が続き、この革新の芽は激しい抵抗の中で折れ曲がりながらも、力強く伸ばしていかなければいけませんが、その前に若芽がだめになってしまうと、元も子もなくなってしまう。2024年の甲辰が、ぐっと耐え、努力をして、革新の芽が健やかにあれるような年であればと思います。

2件のコメント

  1. もう何年になるか覚えていませんが、毎年、楽しみにしています。私も安岡さんの書籍を読み、自身を磨くよう努めていますが、まだまだ至りません。王陽明さんにいわせれば、努力不足で一蹴されてしまうと思います。先生は香川県にお住まいでしょうか。G会社の支店が高松にありコロナ前は何度か訪問していましたがもう数年足が遠のいています。先生のコラム、楽しみにしています。「ぐっと耐え、努力をして、革新の芽が健やかにあれるような年になるよう、努めてまいります」

    1. コメントいただき、ありがとうございます。また、毎年お読みいただいているとのこと、とても嬉しく思います。しばらく管理画面にアクセスできていなかったため、返信が遅れてしまい、申し訳ありません。

      不勉強を晒すようで恥ずかしく思いながら、自分の中でその時に考えたことを整理しておきたいという想いで書いているような内容ですが、そのように言っていただけると励みになります。同じように学んでおられる方がいらっしゃることも嬉しく、これからもそれぞれに学んでいけるととても嬉しく思います。

      現在は主に東京で暮らしていますが、仕事で定期的に香川にも戻っております。あまり何かがあるようなところでもありませんが、またご縁があれば、香川にもお越しください。

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