礼(れい)

古代中国で生じた、「徳(とく)」に続く重要な概念の1つは「礼(れい)」ではないかと思っている。元々は儀礼的な意味合いの文字だと思うが、主に儒家、とりわけ荀子によって、礼はいわば調和の方法論として意味づけられたと理解してしている。

礼は、韓非氏の「法(ほう)」に繋がる概念としても重要な位置にあり、きわめて広大な中国において中央集権型の統一国家を可能にした発端でもある。今回は礼について、私なりの理解をまとめてみたい。

「礼」の字義

「礼」というのは中国では簡体字、日本では新字体で、本来は「禮」であるが、かなり古くから「礼」という略体も使われていたようである。「示」はものを乗せる高杯(たかつき)の象で、白川静は「神を祭るときの祭卓の形」とする。『説文解字』にも、「示とは神事なり」とある。

礼は「示」と「豊」と組み合わせた会意形成文字だが、「豊」には2種類の字が存在しているとされている。礼における「豊」について、白川静は「豊は醴(れい)で、その醴酒(あま酒)を用いて行う饗醴などの儀礼を礼という」とする。象からの解釈としては、豆と呼ばれる器に玨(カク:2つの玉を並べた形で、一聯の玉のこと)が盛られた形と、丰(ホウ:草木の茂る形で、黍稷や禾穀のこと)が盛られた形があり、礼は前者とされる。(いわゆる「豊か」という字は後者で、きびなどの穀物が豊かに盛られた形)

文字が初期に発達した商(殷)の時代において、その統治の根拠は神聖さにあって、その頂点には巫祝王が存在しただろうと思われる。王は祭祀を執りしきって、神の意思と通じる存在で、酒を呑んで酔うという行為は神と交信することに通じていたとも言われる。礼はそれに関連した儀式というのが元々の意味に近いのではないかと思う。

 

神聖王による統治は時代が下って文化や技術が発達してくると成立しづらくなり、「天」というシステムの導入によって巫祝王は倒されてしまう。中国においては、いわゆる殷周革命がそれに当たる。周王朝以降も礼の概念は残り、さまざまな儀礼や形式、また、政治・学問・風俗における礼制が雑多にまとめられた『礼記』という書物が、周末から漢の時代にかけてまとめられたと考えられている。

ただし、『礼記』は礼に対して一定の主張をするような書物でなく、礼に関わる伝承や文章を蒐集したものになっていると、今のところは理解されている。礼はあらゆるレイヤーに存在するため、それが何であるかを統一的に表現するのは難しいが、確かに重要な概念であり、それに関するまとめが必要であるという要請があったのだろうと思う。

概念としての「礼」

礼には当然、儀礼や礼儀といった、実態を持つものとしての意味合いがあるが、それらの総体としての「礼」の意味を説く一説が『荀子』の「禮論篇」に見られる。

禮起於何也。曰、人生而有欲、欲而不得、則不能無求。求而無度量分界、則不能不争。争則乱、乱則窮。先王悪其乱也。故制禮義以分之、以養人之欲、給人之求、使欲必不窮乎物、物必不屈於欲、両者相持而長。是禮之所以起也。故禮者養也。

禮は何に於いて起こるや。曰く、人生まれながらにして欲有り、欲して得ざれば、則ち求むること無き能わず。求めて度量・分界無ければ、則ち争わざること能わず。争えば則ち乱れ、乱るれば則ち窮す。先王はその乱を悪む。故に礼義を制して以って之を分かち、以って人の欲を養い、人の求めを給し、欲をして必ず物を窮めず、物をして必ず欲を屈(つく)さざらしめ、両者相持して長ぜしむるなり。是れ禮の起こる所以なり。故に禮なる者は養なり。

(荀子 禮論篇第十九)

ここでは、禮は「人の欲望と物事の調和をはかって、長く養うものである」とされている。何を長く養うかというと、人であり、人と物で構成される社会であろうと思う。

 

大正から昭和にかけて影響力を持った陽明学者、安岡正篤は礼について、以下のように説明を加えている。

存在するものは、すべてなんらかの内容をもって構成されている。その全体を構成している部分と部分、部分と全体との円満な調和と秩序、これを「礼」という。

(安岡正篤 『知命と立命』より抜粋)

人間社会を成立させるためには、「調和」が必要である。ここで言う調和とは、別に協調しろ、ということではなくて、ある形式やルールが、システムやその要素を伸ばすことを扶け、損なうことを和らげる仕組みだと思う。徳にしても、礼にしても、しばしば誤解されるように人間を抑圧したり、制限したりするようなものではなくて、その可能性を引き出すためのものである。

安岡正篤の文章に、「部分と部分、部分と全体」という言葉が出てくるが、自然や社会、人間の興味深いところは、それらがグローバルと交信をして、システムを維持しようとしているわけではなく、個々の要素は常にローカルで最適な行動や挙動をしているに過ぎないにも関わらず、全体として調和しているように見えることである。「徳」が天から発した性質であれば、「礼」は地を存在させる法則のようなものであるとも感じる。徳はどちらかというと要素主義的で、礼は構造主義的だと感じる。

「礼」の意義

「礼」の意義は、人と社会を養い、育てる調和を実現することである。しかし、形式にばかり捉われると、その本質を見失ってしまうと思う。何事も目的を見失わないことが大切だが、礼は形式を伴うため、より誤りやすいように思う。

禮云禮云、玉帛云乎哉。

礼と云い、礼と云う、玉帛を云はんや。

(論語 陽貨第十七)

例えば、挨拶というのは確かに人間関係を調整していると感じる。打ち合わせで顔を合わせた際にはっきりと挨拶ができると、その日は互いに良い議論をしたいと感じるし、知り合いとすれ違った際には軽くでも会釈をし合えると、安心して良い気分になる。なんとなく、悪意や害意を持たないことの形式が挨拶なのかもしれない。

しかし、先生や上司に頭ごなしに「しっかり挨拶をしなさい」と言われるのは違和感もあるだろうと思う。挨拶は目的ではなく、調整機能なのだから、出来ることなら、その効用や仕組みを理解して、最大限に活かせると良いだろう。もちろん、こういった理解は私の思い込みかもしれないので、相手に合わせて適切な調和を見つけることが大切だと思う。

禮尚往来。

礼は往来を尚ぶ。

(礼記 曲礼上)

譲禮之主也。

譲は礼の主なり。

(春秋左氏伝 襄公十三年)

礼というのは一方通行ではなく、互いに行き来するということが大事で、また、譲るということが礼の根本だともいう。貧窮が礼を損なわせるという主張も、こういったところと繋がっているのだろうと思う。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です