『易』の成り立ち

世界や物事の生成・発展の法則への興味は個人的には自然とあって、10年くらい前からなんとなく『易』に興味を持って、頭の片隅にあった。最初のきっかけは安岡正篤の『易と人生哲学』という書籍で、「易」という言葉の意味であったり、六十四卦の発展が実際の世界や社会に通じるところがあって、古代から残されてきた経験則というのか、智恵というのか、そういうものに興味を惹かれたように思う。

安岡正篤は陽明学者なので、その思想は儒教的な色合いもあると思う。あらためて『易』という書物について、まずはどのように成立したのかということを考えてみたいと思う。

『易』の構成

『易』は大きく「経」と「伝」に分かれていて、「経」には上経三十卦と下経三十四卦があり、それぞれの卦について卦図(卦の形)、卦辞(卦の説明)、爻辞(卦に含まれる6本の爻の1本ずつの説明)が含まれる。「伝」は「十翼」(翼は「たすける」の意)とも呼ばれ、いわゆる解説書のような位置付けで10個の章に分かれている。

『易』は大きく「経」と「伝」に分かれる

 

『易』の成立について、伝承としてよくいわれる著者は、

  • 卦図:伏羲(中国の伝説時代の帝王もしくは神)
  • 卦辞:文王(殷代の周公、周王朝を創設した武王の父)
  • 爻辞:周公(周公旦、武王の弟で周建国・草創の功臣)
  • 十翼:孔子(春秋時代の思想家、儒家の始祖)

とされるが、これはもちろん伝説のようなもので、実際にはそれぞれを1人の人間が書き上げたという類のものではないと思う。

『易』の起源と成立

『易』はおそらく、紀元前の中国の王朝、周で実際に行われていた占いや預言を発端としている。古代においては世界のあらゆる場所において、預言が尊重されている。現実的には天文や医術に精通した人が、ある程度、再現性を持って未来を予測できたことに神秘的な要素も加わったものが「預言」だと思う。

言葉巧みな預言をさらに体系化しようと考える人が現れて、六十四卦として整理されたと想像される。西周(紀元前1100-800年頃)には概ね現在の形の卦として整理されていたともいう。これがいわゆる『易』の中で「経」と言われる部分で、実際の卦の形、名称と意味、卦に含まれる6本の線(爻)の1本ずつの意味が説明されている。ちなみに卦の数が64個であるのは、扱うのにちょうどいい数というのもあると思う(後世、さらに増やそうとした人もいたようだが、定着はしなかったという話を何かで読んだ記憶がある)。なお、先に八卦があって六十四卦に発展したのか、先に六十四卦があって八卦に分解されたのかという先後の問題は、未だ明らかではないようである。

 

それにさらに補足説明を加えて、生成や処世としての解釈が加えられていく。いわゆる「伝」とか、「十翼」(翼は「たすける」の意)とか呼ばれるもので、『史記』やいくつかの伝承では孔子がまとめたことになっているが、春秋・戦国時代から紀元前後くらいまで時間をかけて、複数の人がまとめたものだろう。その後は儒教の五経の1つとして崇められたり、道教でも易学は重要な思想となっていく。

すごくざっくりというと、「占いの断片を集めて体系化し、さらにそれを権威化したもの」が『易』だと思う。それは当然、とても頭の良い人たちが深く研究してまとめていったもので、歴史や世相、生活の実際を言い当てている部分は多いと僕自身は感じる。その権威だけでなく、実際の考察が『易』の魅力なのかなと思う。

 

今回、「半知録」というブログも参考にさせていただきました。広島大学の中国哲学教室の方々が書かれているそうです。ご参考まで。

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