月の話

月は地球の衛星である。その直径はおよそ3,474kmで地球の約1/4、密度は約3.3g/cm^3で地球の約5.5g/cm^3に比べて小さい(地球の密度の大きさは月に比べて大きな重力によって圧縮されている影響もあるが、非圧縮の状態でも月の方が密度は小さく、金属鉄の割合が小さいと考えられている)。地球からはおよそ38万kmほど離れていて(月の軌道は楕円なので、約36-40万kmの幅がある)、公転周期は約27.3日だが、地球が太陽の周りを公転している影響で満ち欠けの周期は29.5日ほどになる。

質量で見ると月は地球の1/80程度だが、これは太陽系内の他の惑星-衛星系に比べると1桁以上大きい。月は大きな衛星で、地球上に住む我々にとってはそれだけその存在も大きいだろう。

 

月の満ち欠けは暦を生み出し、僕たちは普通に1月、2月、…といった言い方をするし、毎月の始まりは「ついたち」(つきたち = 月が生じる日)と呼んでいたりする。大晦日のことを「おおつごもり」と呼ぶことがあるが、陰暦で月の最後は「つごもり」と呼び、これは「つきごもり(月籠り)」からきている。

満ちては欠けて、また満ちていく月の姿は不死の象徴としても捉えられて、『竹取物語』では月に帰るかぐや姫が帝に不死の薬を送るというエピソードがある。帝はかぐや姫がいないのに不死の薬などあっても仕方がないと言って、それを月が浮かぶ天にもっとも近い場所、つまりもっとも高い山の頂上で燃やしてしまい、その煙は今でも上がっているという。いわゆる、富士(不死)山である。

月の起源

惑星科学の観点からは、月の起源には大きく4つの説が存在する。

  • 捕獲説
  • 分裂説
  • 双子説
  • 巨大衝突説

どの説もそれぞれに課題はあるが、近年は巨大衝突説が比較的、受け入れられていると思う。惑星形成の後期過程においては、微惑星から火星サイズ(地球の1/10程度)まで成長した原始惑星が互いに衝突と合体(場合によっては分裂)を繰り返すと言われている。この原始惑星同士の衝突を巨大衝突と呼び、地球は10-20回はこの巨大衝突を経験しているのではないかと考えられている。巨大衝突は、地球型惑星の形成プロセスにおいてはありふれた(特殊すぎない)現象と言えると思う。

巨大衝突のイメージ(NASA/JPL-Caltechより)

地球に近いサイズまで成長した原始地球に火星サイズの原始惑星が斜めに衝突し、たくさんの破片が飛び散った際に、その破片が原始地球の周辺に円盤を形成する。その円盤を材料にして破片が合体していき、月が形成されるというのが巨大衝突による月形成の大まかなシナリオである。どんな大きさの天体が、どんな角度で衝突すれば、実際の月のサイズを説明できるのか。また、どんな組成の天体がどういう状態になって、最終的に地球と月の組成を説明できるのか等、課題は残されているが、特殊すぎない現象で比較的よく月の存在を説明できるという点が受け入れられている理由かなと思う。(個人的には1回の衝突で説明しようとするより、複数回の衝突を考慮した方が合理的なのかなとは感じる)

 

月が地球を引っ張る力には地球の自転軸を立てる効果があると言われており、月は地球の気候の安定にも寄与している。地球における生命の進化にとっても月は意味があるし、暦のような形でも人間の生活に役立っている。僕は僕の存在を許している世界の内部からしか世界を観測できないので、これを「うまくできている」と表現するのはいわゆる「ニワトリ・タマゴ」だけれど、自然というものはうまくできているなと感じる。

月の起源についてもう少し興味があれば、惑星科学会誌『遊星人』に掲載された「徹底比較!月の起源」という論文も参照してみるとおもしろいと思う。少し古くなってしまっているところもあるが、各説の概要や課題がわかりやすくまとめられていると思う。

日月、私照無し

昼を照らす太陽と夜を照らす月は、人間にとっておそらく自然に、対となる存在に思えたのではないかと思う。日本の神話では、太陽神である天照大御神(アマテラスオオミカミ)と月読命(ツクヨミノミコト)は姉弟として生まれたことになっている(表記や読み方は書物によって多少異なるが、ここでは『古事記』の表記にて記載)。太陽と月が対で考えられてきたことは、太陽に対する太陰、日輪に対する月輪という呼称からも想像される。『月の下で』という本には、月にまつわる世界の神話も紹介されているので、興味があれば、手に取ってみるとおもしろいかもしれない。

月読命に関する具体的な性格や活動についての記載は乏しいらしく、それが本当に月や夜の神なのかは確信できないが、「月読」という名前から考えると月の満ち欠けを数える暦の考え方に通じているのではないかと感じる。

 

中国の古典の中でも太陽と月は「日月」というセットの表現で、天地の徳を示すために用いられる例が見られる。

日往則月来、月往則日来、日月相推而明生焉、

日往けば則ち月来たり、月往けば則ち日来たり。日月、相推して明生ず。

(『易』 繋辞伝下)

天無私覆、地無私載、日月無私照、奉斯三者以労天下、此之謂三無私、

天に私覆無く、地に私載無く、日月に私照無し。斯の三者を以て天下に労す、此を之れ三無私と謂う。

(『礼記』 孔子問居 第二十九)

至人之於徳也、不修而物不能離焉、若天之自高、地之自厚、日月之自明、

至人の徳に於けるや、修めずして物離るる能わず。天の自ずから高く、地の自ずから厚く、日月の自ずから明らかなるが若し。

(『荘子』 田子方篇 第二十一)

また、冒頭で月の満ち欠けが不死の象徴と捉えられたという話を挙げたが、無常の例えとして月が用いられることもある。

日中則移、月満則虧、物盛則衰、

日中すれば則ち移り、月満つれば則ち虧(か)く。物盛んなれば則ち衰う。

(『史記』 蔡沢伝)

「日中則移、月満則虧」は『易』の「豊」の卦に同様の内容が見られるので、そこから採られたものだろうと思われる。「豊」はその字の通り、豊かで大きいということを示す卦であるが、「天地の盈虚(えいきょ)、時と消息す。而るを況んや人に於いてをや」と注意を加えている。

 

散文になってしまったけれど、僕はなんとなく月というものが好きで、魅力を感じる。美しさはもちろん、その妖しさや満ち欠けによる儚さ、それでいて永遠を感じさせるところが魅力的なのかもしれない。

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