「おもう」 – 思、想、惟、憶、慮、念

【思】正字は囟(し)に従い、囟声。囟は脳蓋の形。その中は人の思惟するはたらきをする脳のあるところ。

(白川静  『字統』より抜粋)

現代の日本では主に「思」、「想」の2字が「おもう」という意味に使用されますが、「おもう」という行為は複雑なものであり、その作用は古来、様々な字を使い分けることによって表現されてきました。
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あはれといふもおろかなり – 白骨の御勧章

野外に送りて夜半(よわ)の煙となし果てぬれば、ただ白骨のみぞ残れり。あはれといふも、なかなかおろかなり。

(蓮如上人  御文  「白骨」より抜粋)

浄土真宗本願寺八世の蓮如上人が、布教の一貫で全国の門徒へ手紙として発信した法語が「御文」です。宗派によって「御文章」(本願寺派)、「御文」(大谷派)、「御勧章」(興正派)と呼び名は異なりますが、中でも「白骨」の法語は特に有名とされます。
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養生の道は恃むを戒しむ

養生の道は恃むを戒しむ。わが身のつよきを恃み、若きを恃み、病の少いゆるを恃む。是みな、わざはひの本也。

(養生訓  巻第二  七)

『養生訓』は江戸時代の儒学者、貝原益軒が著した健康・長寿を保つための心構えや具体的な生活・食事法に関する書です。もちろん、内容が古い点もありますが、現代においても非常に示唆に富む書です。
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小人は財に殉じ、君子は名に殉ず

小人殉財、君子殉名、其所以変其情、易其性、則異矣、乃至於棄其所為、而殉其所不為、則一也、

小人は財に殉じ、君子は名に殉ず。其れ其の情を変じて其の性を易(か)うる所以(ゆえん)は則ち異なれり。

乃(され)ど其の為すべきを棄てて、其の為さざるべきに殉じるに至りては、則ち一なり。

(荘子  盗跖篇第二十九  二)

『荘子』の「盗跖篇」には孔子と盗跖(大泥棒)、子張(孔子の弟子)と満苟得、無足と知和の3つの対話が収められており、ここでご紹介した一節は子張と満苟得との対話の中に登場するものです。
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学は通の為に非ざるなり

君子之学、非為通也、為窮而不困、憂而意不衰也、知禍福終始而心不惑也、

君子の学は通の為に非ざるなり。窮して困しまず、憂ひて意衰えず、禍福終始を知りて惑わざるが為なり。

(荀子  宥坐編  八)

学問は名利栄達、立身出世といったもののためにあるのではなく、窮しても困(くる)しまず、憂いがあっても意(おもい)が衰えることなく、物事の禍福・終始をよく悟り、心の迷いを生じさせないようにするためにある。窮じて初めて、修養の真価が問われます。
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王 – 理想を現実に実現する者

【王】大きな鉞(まさかり)の刃部を下にしておく形。王位を示す儀器として玉座の前においた儀礼用の鉞で、その遺器と思われるものがある。

(白川静  『字統』より抜粋)

政治家がおり、軍事力があれば統治が成り立ち、生活が保てるのであれば、「王」は不要と考えることもできます。しかし、世界・社会を機能で分解するのは西洋的な思考で、やはり世界を統合する「王」がなくてはならないと私は思います。
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徳とは何か – 玄徳、明徳、陰徳

大学之道、在明明徳、

大学の道は明徳を明らかにするに在り。

(『大学』)

日本、東洋において人物・修養を考えるとき、「徳」という概念がしばしば登場し、「あの人は徳がある」、「不徳の致すところ」といった表現が自然に使われます。そして、それは特定の思想に限定されたものでなく、孔孟の儒教、老荘の道教、そして日本の神道、また武士道といったあらゆる思想・文化において現れます。

しかし、「徳とは何か」と問われるとよくわからない。おぼつかないながら、この「徳」という問題について少し論じてみたいと思います。
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象徴に感ずる – 三種の神器が伝える徳

何ごとの  おわしますかは知らねども  かたじけなさに涙こぼるる

(西行法師)

武士でありながら出家をし、仏道・歌道をおさめて松尾芭蕉にも影響を与えたといわれる西行法師が、伊勢神宮に詣でた際に詠った歌です。日本人の感性をよく表現した歌として有名ですが、この「象徴に感ずる」というのは、まさに日本人の感性だと感じます。
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祈らずとても神や守らん

心だに  誠の道にかなひなば  祈らずとても神や守らん

(菅原道真)

忠信として名高く、現代では学問の神として親しまれる菅原道真の歌です。明治天皇の御製にも、「ならびゆく  人にはよしや遅るとも  正しき道を踏みなたがへそ」、また「いかならむ  時にあふとも人はみな  まことの道をふめとをしえよ」とあり、誠・真実の生活こそ、人の基本だと感じます。
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蔵脩息游 – 『礼記』が説く学問の在り方

君子之於学也、蔵焉脩焉、息焉游焉、

君子の学に於けるや、焉(これ)を蔵し、焉を脩し、焉に息し、焉に游ぶ。

(礼記  学記第十八)

儒学における五経の1つ、『礼記』の「学記」で説かれる学問の在り方である「蔵脩息游」、いわゆる「四焉」です。

学問に限らず、物事に通じようと思えば、問題とするところを自らの中に蔵し、これを脩(修)め、息をするように自然に行い、優游自適に探求を行えるようにすべきと教えます。
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事上磨錬 – 事に当たって修養する

人須在事上磨錬、做功夫、乃有益、

人は須く事上に在って磨錬し、功夫をなす、すなわち益あり。

(伝習録  下)

『伝習録』は陽明学の祖である王陽明の言行を記録した書物です。「事上磨錬」は、現実に即した修養を旨とする王陽明の思想が端的に現れた言葉だと感じます。
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人間の一生 – 森信三の人生観・職業観

職業に上下もなければ貴賤もない。世のため人のために役立つことなら、何をしようと自由である。

しかしどうせやるなら覚悟を決めて十年やる。すると二十からでも三十までにはひと仕事できるものである。それから十年本気でやる。

すると四十までに頭をあげるものだが、それでいい気にならずにまた十年頑張る。すると、五十までには群をぬく。しかし五十の声をきいた時には、大抵のものが息をぬくが、それがいけない。「これからが仕上げだ」と、新しい気持ちでまた十年頑張る。すると六十ともなれば、もう相当に実を結ぶだろう。だが、月並の人間はこの辺で楽隠居がしたくなるが、それから十年頑張る。

すると、七十の祝は盛んにやってもらえるだろう。しかし、それからまた、十年頑張る。するとこのコースが一生で一番おもしろい。

(読み人知らず 「人間の一生」)

西田幾多郎、西晋一郎の教えを受けた在野の教育家、森信三の著書の中で「人間の一生」という題名で紹介されている一節です。森信三本人の言葉ではないそうですが、森信三の信念をよく表していると感じます。
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不変の上に築く – ジェフ・ベゾスの経営哲学

私はよく「5年後、10年後には何が変わっているだろうか?」と尋ねられる。しかし本当に重要な質問は「5年後、10年後にも何が変わっていないか?」だ。なぜなら、ビジネスの根本を長期にわたって不変な原則の上に建てることができるからだ。

今から5年、10年経ってユーザーが私のところに来て「ジェフ、値段をもっと高くしてくれないか」ということは想像できない。「配達を遅くしてくれ、品揃えを少なくしてくれ」などということもあり得ない。低料金、速い配送、幅広い品揃えは何十年経ってもユーザーが望むものだ。

(Amazon CEO ジェフ・ベゾス)

Amazon(アマゾン)のCEOであるジェフ・ベゾス氏がre:Inventという開発者向けカンファレンスで語った内容が、日経ビジネスオンラインで紹介されていました。ベゾス氏の哲学は非常に本質的で魅力的だと感じます。
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位無きを患へず、立つ所以を患ふ

不患無位、患所以立、不患己知、求為可知也、

位無きを患へず、立つ所以を患ふ。己を知るものなきを患へず、知らるべきを為すを求む。

(論語  里仁第四  十四)

学問にとどまらず、人格修養でさえ人に見せるため、地位を得るための手段と捉える風潮が強い現代に対する苦言とも感じる一節です。

地位がない、己を知るものがいないことを患えるのではなく、その地位に立ち、また、人に知ってもらえるだけの学問修養がないことを謙虚に患え、修養をすべきであることを教えます。
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甲午の意味 – 2014年迎春にあたり

「甲」はかいわれ、春になって樹の芽が冬中被っておった殻を破って出てきたすがた、つまり鱗芽が外に発現した象形文字であります。だから物事のはじめを意味し、はじまるとも読む。その芽がぐんとのびると申(伸・のびる)であります。またはじめという意味から、十分慎重にやらなければならぬので、つつしむという意味があり、新しく始めるところの法令・制度を意味する。

ところが新しく始まろうとする機運にはあるのだけれども、人間というものは、ともすれば旧来の陋習になれてしまって、改革・革新をやらず、因循姑息になり、すべてにだれてしまいがちであります。そこで甲は狎(なれる)に通じる。

「午」はどういうことを表すかというと、上の午は古代文字では「ノ一」と書き、これは地表を表しておる。十の一は陽気で、Ⅰは陰気が下から突き上げてまさに地表に出ようとする象形文字であります。だから「午は忤なり」でそむく、さからうという意味になるわけです。

(安岡正篤  『干支の活学』より抜粋)

2013年の癸巳(きし/みずのと・へび)は「万事筋道を立てて、因習を捨てて新たな活動を清々しく始めるべき年」でしたが、癸巳から発展した「甲午(こうご/きのえ・うま)」が2014年の干支です。
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同人 – 天上火下、天火同人(上卦 十三)

天火同人

社会生活において、最初は天澤履(礼に従い履み行う)、それによって地天泰(物事が通じる)、やがて天地否(塞がるときを迎える)と続き、いつまでも塞(否)がってはおられないので、の卦の次に同人が置かれるとされます。

否(ふさ)がった状況を打破するのは人と人との和であり、互いに手を携えていくことで運が拓けてくることを教えるのが、天火同人の卦です。
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