辛丑の意味 – 2021年の干支

「辛」という字は┴と干と一とを組み合わせた文字である。┴は上を表し、干は求める・冒す、一は一陽で、陽エネルギーを表し、人間で言えば男性です。したがって辛は上に向かって求め冒す意味である。今まで下に伏在していた活動エネルギーが、いろんな矛盾、抑圧を排除して上に発現するという文字であり、したがってそこに矛盾、闘争、犠牲を含むために、つらい、からいということも出てくるわけです。

「丑」は又と┃との合字で、右手を挙げた形、事を始めんとする義を表すとされ、「はじめ」と読み、また丑は紐で、結ぶ意とし、やしなう(畜養)意ともする。子に発生したものが、やや長じ、これを整え、養うものである。

(安岡正篤  『干支の活学』より抜粋)

2021年の干支は2020年の庚子(こうし/かのえ・ね)、「それまでの活動を継承しながらも、反省し、進化・更新すべき年」を受けて、「辛丑(しんちゅう/かのと・うし)」となります。

辛 – エネルギーが敢然として上に出現する

「辛」は下に蓄えられた陽のエネルギーが敢然と上に出現してくる形で、前の「庚」に次ぐ革新を意味し、その際に殺傷を生じることがある。そういう強い、危険も伴う変化の相であると安岡正篤は解釈を示しています。

後漢の名高い「白虎通」という書に、辛は「殺傷」の意を含むということが書いてあります。よって、これは前年の庚を受けて、「更新することを断々乎として実行してゆかなければ、必ず殺傷を含む、からい目・つらい目に遭うぞ」ということです。そこでどうしても斎戒自新しなければならないのであります。

(安岡正篤  『干支の活学』より抜粋)

庚の年に取り組んできた進化・更新をさらに推し進める力が下から上に、一気に上がってくる。そこには厳しさや痛みも伴うけれど、自らを戒めて、新たな自己へと変革していかなければならない。2020年は実際、非常に変化を求められる1年だったため、実感のある相だと感じます。

 

字源としては、入墨に用いる針の形というのが一般的な解釈だと思います。

把手のある大きな直針の形。これを文身・入墨に用いるもので、その関係の字は多く辛に従う。

(白川静  『字統』より抜粋)

入墨(文身)は犯罪者に入墨を施す「墨刑」というものも有名ですが、殷の時代には風習として中国にもあったのではないかと白川静は主張しています。入墨は、痛みを伴いつつ生まれ変わる儀式とも言えるので、十干としての辛の意味にも通ずるように感じます。

丑 – 手を伸ばして、始める、結ぶ、掴む

安岡正篤は「丑」の字について、

母のお腹の中におった嬰児が体外に出て、右の手を伸ばした象形文字です。今まで曲がっておったものを伸ばすというところから、「始める」「結ぶ」「掴む」という意味を持っておる。

(安岡正篤  『干支の活学』より抜粋)

という解説を加えています。赤子かどうかは別にして、字源としても手で何かを掴もうとする形というのが一般的です。『字統』では、

手の指先に力を入れて曲げ、強くものを執る形。又(手)の字形の、爪を立てている形である。[説文]に「紐(はじめ)なり。十二月、萬物動きて事を用ふ。手の形に象る。時に丑を加ふ。亦手を擧ぐるの時なり」というが、意味の明らかでないところがある。要するに十二支の丑をもって解しようとするもので、字の初形に関しない。

(白川静  『字統』より抜粋)

と記されています。発生を示唆する子(ね)を受けて、しっかりと始め、結び、掴なければいけないということを丑は示していると感じます。

 

痛みを辞さず、突き上がる陽気を変革に結ぶ

干支の意味を総合すると、辛丑は、

痛みを辞さず、突き上がってくる陽気を変革へと繋げ、新たな活動として形を結ぶべき年

と言えるのではないかと思います。下から上がってくる陽気は針のように刺さるけれど、恐れずに、自らを戒めて新しい自己を掴んでいかなければ、その後が惰弱に堕してしまう。ここでしっかりと新しい自己を始め、結んでいかなければ、その後の活動が形になっていかないと言うこともできるのではないかと思います。

 

下から上がってくるものというのは、これまでの感覚では未熟や幼稚、未完成に感じるものかもしれません。しかし、辛丑の2021年はこれまでの当たり前に甘えずに、自分というものを新しくしていかなければならない。斎戒自新という言葉が非常に大切な1年であるように感じます。

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