紫はおそよ380-430nmの波長の光を人間の目が知覚した結果として認知される色であり、人間が知覚・認知できる光としてはもっとも波長が短いものである。朝焼けや夕焼けにおいて、太陽光の散乱の効果によって空や雲が紫に染まることがあり、紫雲(しうん)といえば瑞兆・吉兆とされる。虹においてはもっとも低いところ、虹と空が溶け合う場所に紫がある。
道教や仏教では、紫は特に高貴な色とされ、紫雲は天子の徳が高いことを示す証とされたり、阿弥陀仏の来迎と関連していると考えられた。紫衣は、高僧のみが着衣を認められるもので、推古天皇の定めた冠位十二階においても、最高位に紫が置かれたという説がある。実際のところはわからないが、当時の大臣の冠の色が紫であったという記述があったり、少し時代が下ると、特に深紫(黒紫)が最高位に置かれていたり、といったことから、一定の信憑性があるように思う。
日本においては、「むらさき(紫草)」という植物がその色の語源で、植物の語源は「群がって(むら)咲く(さき)」からであると考えられている。紫は「むらさき(紫草)」の根(紫根)を使って染められる色であることから、その名が与えられているが、この紫の草木染というのが極めて難易度が高いそうで、技術や手間暇、その結果としての希少性などから高貴な色として定められたのではないかと想像される。
草木染は植物の抽出液に浸しただけでは発色・定着せず、色素が金属イオンと結合すること(媒染)ではじめて色を発するという。紫は冬にしか染めることができず、かつ、多くの植物が沸騰させて色素を煮出せるのに対して、70℃程度の温度管理が必要になるそうである。媒染に用いる原料も染料ごとに異なり、紫の媒染には椿の灰が用いられるという。一冬で染められる紫は極めて淡く、いわゆる「紫」と現代の我々が感じる色を発するには、糸を10年にわたって毎冬、繰り返し染める必要があるという。
化学反応というのは温度依存性があるが、紫を発色する物質や結合は比較的、低温においてしか成立しづらく、低温であるが故に反応速度も遅くなるのかもしれない。その結果として、紫を染めるには時間がかかるのだろうし、深紫(黒紫)には、さらに時間がかかるだろうと思う。
紫をはじめとして、草木染の技術は現代では失われつつあるという。草木染のお話を聞いていると、その植物、その媒染、その条件で、なぜその色になるのかはそれほど簡単ではなく、確かに難しいと感じる。植生や気候にも依存するので、現代において、古代の色を再現することは不可能ということもあると思う。
一方で、そもそもかなり特殊な技術なようにも思うので、習熟している人の数は、古代から少なかったのかもしれない。それほどに、なんだか不思議で奥深く、魔法のような世界なんだなと感じる。