黄河流域の中原から文明を築いた漢民族が生み出した文字を「漢字」と呼ぶ。漢字は今でも広く日常的に使用される唯一の古代文明文字であり、例えばエジプトのヒエログリフの解読がロゼッタストーン無しには実現しなかったであろうことに対して、漢字は字形の変化はあるものの、我々が使っている文字から原初の文字の系統を辿ることができる。
漢字は大きくは字形・字音・字義の3つの要素から構成されており、字音のみを要素とする多くの文字、例えばアルファベットの24種、平仮名の46種などと比較して、約10万種という圧倒的な文字数を有する。
漢字の特殊性
文字というのは当然、コミュニケーション、意思疎通のツールである。おそらくは先に音声としての言葉があって、それを記録したり、非同期に伝えたりするために生み出されたものだと思う。
「漢字」の文字としての特殊性は、他の古代文字と比べて宗教性や権威性を排除し切らずに発展した点だと思う。白川静は字源(漢字の起源)に過度に呪術性を与えたという批判もあるけれど、漢字の呪術性を明らかにしたところに白川静の功績があると思う。エジプト古代文字(ヒエログリフなど)や楔形文字(シュメール文字など)、ルーン文字などは古代に使用されていた時点で、かなり表音の要素を強めていたともされる。ヒエログリフは「聖蹟文字」と呼ばれるが、聖蹟に対して筆記用のヒエロティック(神官文字)や、さらにそれを崩したデモティック(民衆文字)が存在する。しかし、デモティックもやがて使われなくなり、ギリシャ文字を基とするコプト文字(α、β、…)へと変化する。
漢字も日本においては万葉仮名を経て、片仮名や平仮名が作られたが、漢字が使われなくなることはなく、現在でも漢字・片仮名・平仮名が(場合によってはアルファベットも)混在して使用される。平仮名であっても、漢字を基にした万葉仮名から作られているので、
- 安、ア、あ
- 伊、イ、い
- 宇、ウ、う
といったように、なんとなくその起源を漢字にたどることができる。
話を漢字に戻すと、文字のコミュニケーションツールとしての効用は「権威性」と「利便性」の2つに大きく分けることができると思う。「権威性」とは、文字を記すことで権力や威力が示されることで、その文字を使うことができること自体が神聖視されたり、その文字で記されることで命令として成立するような効果である。一方、「利便性」とは、素早く活動を記録をしたり、商取引などの際に効率よく正確にやり取りを可能にするような効果を指すこととする。
多くの文字においては、その使用が広がるにつれて「利便性」が追求されて「権威性」は失われていったと想像される。しかし、漢字においては定期的に見直されながらも、権威性が残されてきたように思う。秦の始皇帝が定めた小篆もそうだし、書という文化もそうだと思う。
多価的な存在としての漢字
文字は本来、権威性と利便性を有するが、通常はそのいずれかに偏っていく。多くの場合は利便性が追求されて、文字が原初に持っていた意味は失われたり、そもそも意味のない記号から構成されたりする文字も存在するが、ルーン文字などのように日常的に使用されていた当時は単なる記号に近かったものが、時代が下って使用されなくなると、神秘的なものを記録する意味合いを与えられて、権威性を強調されるケースもある。
漢字の場合は、利便性を追求する方向として旧字体から新字体への変化、繁体字から簡体字への変化などは見られるが、一方で判子などに好んで使われることがある篆体字(篆書体)はその書体で書かれることが権威を象徴する。フォントとしての篆書体と、始皇帝が政令に用いた小篆はもちろん異なるものだが、新字体や簡体字を含めて、基本的には同じ文字がいろいろな意味合いで使用されるのが漢字のおもしろい点だと思う。
様々な書体が存在することから明らかなように、漢字は決して完成されたものではなく、常に多義的で多価的な存在であったと思う。日本においては書体に加えて、音読みと訓読みが存在し、読み方にも複数のパターンが許されている。そのようなおもしろさは、東洋的な観方にも通じているのではないかと感じる。
漢字については、それぞれの書体、音や読み方、書き方(描き方)ひとつを取っても専門的な内容が多いと思う。その多価性というのか、曖昧さというのか、そういうものが漢字を今日まで存続させてきたように感じる。多価的で曖昧なものは掴み尽くすことができないので、それを完全に消し去ることを困難にすると思う。
当然、どのひとつを取っても、僕がここで語り尽くすことはできないので、とりあえずはここで筆を置きたいと思う。