乙という字は草木の芽が曲がりくねっておる象形文字であります。だから新しい改革創造の歩を進めるけれども、まだまだ外の抵抗力が強い。しかしいかなる抵抗があっても、どんな紆余曲折を経ても、それを進めて行かねばならぬということであります。
乙巳の巳は、動物の象形文字であります。説文学で申しますと、今まで冬眠をしておった蛇が春になって、ぼつぼつ冬眠生活を終って地表に這い出す形を表しておる。即ち従来の地中生活・冬眠生活を終って、新しい地上活動をするということで、従来の因習的生活に終りを告げるという意味がこの文字であります。その意味で已(い、やむ)にひとしい。
(安岡正篤 『干支の活学』より抜粋)
2024年の干支は「甲辰(こうしん/きのえ・たつ)」でした。甲辰では、新しい創造に向けた動きが始まるけれど、まだ外の寒気が強くて芽が伸びないので、大切に慎重に、革新の芽を育てていくことが大切とされます。そこからもう少し芽が伸びてくる。うごめいているだけではなく、実態として活動が外に出てくる。しかし、外の抵抗はまだまだ強く、真っ直ぐには伸びられない。そこで、甲辰には「乙巳(いつし/きのと・へび)」が続きます。
乙 – 曲折し、苦労する
干支における「乙」はその字形の通り、曲がりくねって、真っ直ぐに伸びることができない状態を示し、『説文解字』でもその説が採られていますが、この説は必ずしも字の初形には基づかないと白川静は考え、
[説文]に、春のはじめに草木の芽がかがまるように生え出す形とするが、それは十干の乙が五行において木にあたり、方角において南にあたり、音において軋、すなわちきしる意であることに附会した説で、字の初形に当たるものではない。
(中略)乙の形を最も明確に含むものは亂(乱)である。ラン(亂の左辺)は糸かせの糸がもつれて、上下より手を加えて解こうとしている形で、「みだれる」意。亂はそれに乙を加えてそのもつれを解くもので、「おさめる」とよむべき字である。[説文]の亂字の条に「乙は之を治むるなり」という。乙はへらの形で、おそらく獣骨や魚骨を用いた骨べらの形であろう。
(白川静 『字統』より抜粋)
とします。ただし、亂の右辺にある乙は羨筆(無意味に足された筆画)とする説もあるようで、亂の字を根拠として、乙が「みだれる」に対して「おさめる」とされるべきかどうかは確かではないようです。
少し横道に逸れてしまいますが、漢字の起源のまとまった資料である甲骨文字はその名が示す通り、占卜の結果を亀甲や獣骨に刻む際に使用されていたと考えられており、十干十二支は元来は暦を示す(さほど特別な意味は持たない)記号とされます。
初形としては甲は亀甲、乙は獣骨に当たるというのが白川静の解釈で、甲が第一に優れているもの、乙が第二に優れているもの(第一より劣っているもの)に対応づけられて、それは暦の順序であると同時にあらゆるものの序列として用いられるようになって、甲乙をつけるといえば優劣を判断することを意味するようになりました。
草木の芽にしてもへらにしても形としては曲がっており、乙は五行思想の中で「きのえ(甲、木の兄)に続く「きのと(乙、木の弟)」に当てられて、事態が紆余曲折することを示唆します。これまでの殻を破って新たに芽を出したのは良いが、少しばかり伸び始めたところでなかなかしっかりとした状態ではなく、同時に、まだまだ外には寒気が残っており、外界からの抵抗も強い。
いろいろな問題が紆余曲折し、紛糾して、厄介なことにもなりますが、これにいかに対処していくかが重要です。
巳 – 新しい生活、新しい活動
草木の芽とされる乙に対して、巳は春の陽気に誘われて地中から生き物が顔を出した象とされます。二十四節気で見ると啓蟄(けいちつ)で、冬籠りの虫が這い出てくるというイメージですが、冬眠から目覚めてひょっこりと地上に出てくる生き物の中で蛇が代表して当てられたようです。
字の初形としては、
蛇の形。十二支の第六、「み」に用いる。[設文]に「四月、陽气巳(すで)に出て、陰气巳に藏(おさ)まる。萬物見(あら)はれて文章を成す。故に巳を蛇と為す。象形」とあり、巳を「すでに」と解するが、その字は已(い)、巳とは異なる形である。また第六辰の「み」も卜文では子の字を用いており、巳を用いることはない。
(中略)古くは巳(し)・已(い)は同音、巳・已の二字は、巳が第六辰の字となるに至って分岐したものであろう。
(白川静 『字統』より抜粋)
巳を干支では「み」と呼びますが、本来の読みは「し」であるようです。また、『字統』の説明にあるように甲骨に刻まれた卜文では「子」が当てられていることがあり、このあたりは五行思想や十干十二支がまとめられていく中で現在の形に整理されたと思われます。
何か新しい活動が始まっていくときに、外界からの抵抗はもちろん問題ですが、それまでの慣れた生活の中で染みついてしまった悪い習慣、じっとしている間に凝り固まってしまった精神や肉体が問題になるというのは、なるほどと感じます。眠っていた土の中から地上に出たら、そこは新しい世界であり、これまでの因習・陋習には別れを告げて、新しい精神で新しい生活を切り拓いていかなくてはいけない。
あえてシンプルにまとめてみると、「寝ぼけていないで、気持ちを入れ替えて、新たな習慣、新たな生活を始めなさい」というのが巳が教えてくれていることではないかと思います。
乙巳 – 紆余曲折に屈せず、因習を捨て去る年
乙も巳もいずれも新たな活動の始まりを示唆していますが、乙巳と重なる時、これからの創造的活動において予想される紆余曲折に屈せず進むべきことを教えているのが「乙」、これまでの因習・陋習に別れを告げ、新たな活動、新たな生活に対して大いに振るわなければならないことを教えているのが「巳」ということになろうと思います。
したがって、
乙巳という年は、いかに外界の抵抗力が強くとも、それに屈せずに、弾力的に、とにかく在来の因習的生活にけりをつけて、雄々しくやってゆくのだ、とこういう意味を表すわけです。
(安岡正篤 『干支の活学』より抜粋)
新しい取り組みは周囲からはいじめられたり、潰されたりしやすいし、自身の中にも「そんなに頑張らなくてもいいじゃないか、これまでと同じでもいいじゃないか」という気持ちが生じてしまうものだと思います。
新しい創造には外からも内からも妨げる要因がありますが、やはりそこに屈せずに進んでいくことで発展が望めるし、そうやって進歩していく必要がある。乙巳はそんな当たり前のことをとても丁寧に教えてくれているように感じます。
私自身、つい「このままでもいいじゃないか」と思う気持ちがあって、うまくいかないことがあると諦めたくなってしまいます。そういう時には乙巳に立ち返って、少しでも生活を進歩・発展させていけると良いなと思います。