丙午の意味 – 2026年の干支

丙の字の上の一は陽気がぐんと伸び切る姿で、昨年乙年が陰気が強く、伸び悩んでいた陽気が、丙の年にはぐっと伸び切ることを示している。生命・エネルギーが盛んになり、高まることを意味する。しかし循環の原理により、その陽気が窮まると冂、即ちかこいの中に陽気が入って、やがて陰気が生ずる気運となるのである。

午は𠂉と十で、上の字画は地表、下の十は一陰が陽を冒して上昇する象である。即ち「午は忤也」と解説され、反対勢力の高まりを示す。

安岡正篤  『干支の活学』より抜粋)

2025年の乙巳(いつし/きのと・へび)に続く2026年の干支は、丙午(へいご/ひのえ・うま)となります。乙と巳はいずれも新しい始まりを示す象で、外からの抵抗に紆余曲折して折り曲がる乙、そんな中でも地面から頭を出して旧来の因習的生活に別れを告げようとする巳が重なって、困難を乗り越えて伸びていく意志を貫き、雄々しくやっていくことが求められるのが乙巳でした。

そして、いよいよ陽気がぐっと伸び切る時を迎えるということで、丙午と続きます。

丙 – 成長した陽気が囲いに入る

生命・創造の働きは無限の循環で、丙は乙に較べて陽気が明らかに伸びる。しかし、物は盛んになりっぱなしということはなく、伸びた陽気はしっかりと囲いに入れなければならず、だんだんと内に入っていく。盛んな時には、必ず衰える兆しを含んでいる。

反対に、衰えるということはやがてまた盛んになる生の未来を含んでいて、そういった微妙・絶妙なマネジメントをしながら活動を育てていく入り口を丙の字は示唆しているように思います。

 

初義としては器物の台座の象で、祭祀で用いられる台座の中では比較的、小型のものが丙と呼ばれたと白川静は考察し、

器物の台座の形。また槍・杖の石づきの形。柄の初文とみてよい。[設文]に「南方に位し、萬物成りて炳然たり。陰气初めて起り、陽气将に虧(か)けんとす。一の冂に入るに従ふ。一なる者は陽なり。丙は乙を承く。人の肩に象る」とする。字形を陰陽の理によって説くが、字形に合うところがない。

白川静 『字統』より抜粋)

とする。古代には吉日として、その日に青銅祭器などの鋳作が行われることも多かったとされ、「ひのえ(火の兄)」の意味に通ずるところがあるようです。

 

丙年は事業において積極的な進展を望むことができる年ですが、盛んになったからといって有頂天になって浮かれてはいけない。どんな活動も伸びていくと、囲いに入れて、はっきりと整えていくことになる。そこには憂いも生じ、衰弱の兆しがあるのと同時に、翌年の丁(ひのと)にも見られるように、主流に対する反対の動き、抵抗勢力も生まれてくる。

初義に見られる台座や石づきは、活動を継続的に伸ばしていくための土台をしっかり整えることを示唆しているようにも感じます。

午 – 反対勢力による突き上げ

午は十二支では7番目で、1日の真ん中の区切りを指す「正午」などの言葉にも使われる字です。子から始まって結び、手を取り合って陽気が育まれてきた生成の流れの中で、陰気がはっきりと現れる。陰気(│)が陽気(一)を冒して上昇し、地表(𠂉)まで突き上げてくる。

午は「忤」に通じ、さからう、もとる、そむくといった意味になります。

 

午は象形文字で杵の象とされ、白川静はこれを呪器として用いられた杵形の器であるとします。

杵形の器の形。これを呪器として用いた。(中略)午は杵の形であるが、これを呪器として邪悪を祓うことがあり、その祭儀を御という。(中略)この呪器を持って禦祀を行なうが、それは防禦的な意味の祭儀であるから、逆らう意を生ずる。御はこの呪器を跪いて拝する形で、午の声義を承ける字である。

白川静 『字統』より抜粋)

杵というと、我々には餅つきの道具としてイメージされますが、禦ぐ、守るという意味に通じており、それはつまり逆らう力を含んでいる。

 

実際の意味とは異なるかもしれませんが、餅つきでは米を潰して餅にし、脱穀では穀物の穂を撞くことで籾にする。杵によって力が加えられて、新たな価値が生まれます。うまく逆らい、うまく守ることで発展しますが、その衝突がうまくいかないと、美味しい餅にならなかったり、米粒が潰れたり割れたりしてしまう。

午には未が続きますが、激突してこれをうまく処理すれば、おとなしく善良になるけれど(羊)、間違えると昧、つまり暗黒になってしまうというのに似ているようにも感じます。

 

干支における午には「馬」が当てられますが、馬というのはとても賢い動物で、乗り手を優れた主人と見ればおとなしく従順な馬であっても、乗り手を大したことがないと見下したり、反感を持ったりすると、蹴ったり振り落としたりして、言うことを聞かないといいます。

陽気があれば、陰気があるのは道理です。大切なのはその理を知り、いかに制御・活用するかということだと感じます。

丙午 – 明らかな姿勢で心配や抵抗に対処する年

「丙」は陽気が伸び切るがゆえに囲いに入る。陽気、活動は一段と伸長して、それぞれの分野において積極的に、活発に、明らかにやっていけるし、また、明らかにしていかなくてはいけません。しかし、物事が明らかになると、いろいろな心配も生じ、そこには衰えの兆しも含まれる。だからといって、うやむやにしたり、ぐずぐずしたりしていてはダメで、強いところ、弱いところを見極めて、マネジメントしていくことが求められます。

「午」の方はというと、既存の活動・旧来の勢力に対して、反対の活動・新興の勢力が突き上げてくる。表面的には在来勢力がしっかりしているようでも、反動勢力はすでに台頭していて、衝突・激突するところが出てくる。これをよく処理できるかどうかが、今後の大きな変化に繋がります。

 

これらが重なる、2026年の丙午は、

これまでの活動・勢力が大いに伸びて盛んになるけれど、反面ではすでに内側から反対勢力が突き上げてくる。物事を明らかにして、心配や抵抗・衝突をしっかり処理できれば善く発展していけるが、処理を誤れば新旧勢力ははっきりと激突し、先が見えない暗さを招いてしまいかねない岐れ目の年

ということになるかと思います。乙巳で挫けずに芽を伸ばし、新たに顔を出した活動・勢力が、発展していくからこその心配や抵抗・突き上げという試練に晒される。しかし、それは盛衰の必然でもあり、これにどう対処できるかが問われます。

 

だんだんと大きく、複雑に発展していく活動の先を占う年であるように感じます。

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