庚子の意味 – 2020年の干支を考える

干は幹、支は枝で、生命・創造・造化の過程を表すものにほかならない。その庚は更に通じ、更新を意味し、なおまた継ぐ・償うの意があり、庚々といえば、明瞭な変化の相であり、確乎たる様である。

「子」は何を意味するかというと、「子」は「滋る」増加するという意味を持っております。古代人の生活で何が増えることをもっとも実感させたかというと、なるほど家の中のねずみ、これくらいよく増えるやつはいない。そこでいつの間にか「子」という字は鼠ということになってしまった。

(安岡正篤 『干支の活学』より抜粋)

戊戌の煩雑さを紀(己)め、亥の爆発的なエネルギーをどう活かすかが問われる己亥(きがい/つちのと・いのしし)に続くのは庚子(こうし/かのえ・ね)です。

十二支は始まりの「子」に戻り、「庚」の字と合わせて、エネルギーが溢れつつも煩雑・混乱が多い段階から次に進もうとする相を感じます。

 

庚 – 萬物庚庚として實る有る

庚は實(実)りの季節を予感させます。

【庚】午と収(廾、きょう)とに従う。両手(収)で午(杵)をもち、穀物を脱穀し、また臼を杵く形であろう。[説文]には、十干について陰陽五行説による解釈を加えており、庚について「西方に位す。秋時、萬物庚庚として實る有るに象るなり。庚は己を承く。人の臍に象る」という。

(白川静 『字統』より抜粋)

説明の中にある「収」は左右の手をならべた形とされる廾(きょう)の字で、いわゆる「収める」という字ではありませんが、形を示す便宜上、「収」の字を当てています。

『説文解字』からの引用の最後にある「人の臍に象る」は、己の字の解釈にも同様の説明があるため、字形に関する解釈ではなく、並びである己と庚の十干としての解釈だろうと白川静は考察しています。

 

秋であり、臍である庚に対して、冒頭でも引いたように安岡正篤は「更新」、「明瞭な変化の相であり、確乎たる様である」という説明を加えています。

戊(しげる)、己(おさめる)に続いて、いよいよ確乎たる更新・変化へと続くのが庚(あらたまる)ということだろうと思います。

 

子 – 幼児の象、陽气動き、萬物滋入す

篆文や甲骨文字を見ると明らかですが、小さな子どもの象を表します。左右の手の一方が上、一方が下に向いて表現されている場合は尊い身分の王子であることを示すそうです。

【子】幼児の象。[説文]には十二支の「ね」と解して、「十一月、陽气動き、萬物滋入す。以て、偁(しょう)と為す」と生い滋ること、滋生の義をもって解するが、卜辞において、十二支の「ね」は籀文(ちゅうぶん)の字形を用い、子はのちの巳を用いる。子はいうまでもなく生子の象で、子を意味する字である。

(白川静 『字統』より抜粋)

偁(しょう)はあげる、称揚するといった意味の文字。また、籀文(ちゅうぶん)とは『史籀篇』と呼ばれる漢字を学ぶための書物の中で用いられている字で、金文から派生し、小篆の元になった字(大篆)であるとも言われます。

陰陽や干支の解釈を設問学としては俗説とするのは、白川静らしい解釈だと感じます。

 

十二支としての「子」は1つ目に位置し、陽気が動き始める相を示します。萬物滋入し、生い滋る。さらに俗説を重ねると、子は「鼠」です。厳密性は脇に置くとして、鼠が繁殖する様が「子」の相というのはひとつの的を得た例えなのだろうと思います。

 

更新され、陽気が動きはじめる年

戊戌己亥は、煩雑・混乱ゆえに爆発的なエネルギーを秘めていましたが、それも永くは続きません。ある意味で、煩雑さというものも衰えていく。それにより、新たな形が見えてきます。新たな形は幼児の象から始まります。

煩雑ゆえのエネルギーが衰えるとともに、新たな相があらわれて、陽気が動きはじめる年

というのが、庚子、2020年の位置付けになってくるだろうと思います。干(幹)は更まり、支(枝)は滋る。

 

「陽気が動きはじめる」というとポジティブな響きを感じますが、それは爆発的なエネルギーが発揮される革新の時は過ぎたということでもあると思います。庚子に至っては、新たな相の形を見定めて、動き始めた陽気を大切に育てていかなくはなりません。

それを処する人間には、フェーズの更新に合わせて、態度を更めるという智慧が求められるように思います。

 

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