秩序ある混沌 – 物事をより深く知るために

私はよく学生に、「物事を整理してしまわないように」と言っています。「君が捨ててしまったそれは、消してはいけない」と。

学生が「描いているうちに、消してしまいました」と言ったら、「その中に大切なものがあるかもしれない。消さずにバランスを整えていき、調和させていく。そこが勉強なんだ」と言います。

混沌を抱え込んだまま、その混沌に秩序を与えることが、絵を描いていくプロセスなのです。この「秩序ある混沌」が芸術作品につながります。

(『芸術を創る脳』  「なぜ絵画は美しいのか」より抜粋)

東京大学で言語脳科学を専門に研究されている酒井邦嘉さんと、日本画家で水や滝をテーマとした絵画を多く描かれている千住博さんの対談の中で見つけた言葉です。

混沌の中に秩序がある。混沌は完全に掴みきれるものではないが、その中に秩序を見出していこうとする行為は、以前にご紹介した鈴木大拙の「無限への憧憬」という感覚に通じるところがあると感じます。

 

混沌と秩序は世界に同居している

「滝」というのは、全体としては滝として形が保たれていますが、その中には速く流れる水とゆっくり流れる水、落ちる水と跳ね上がる水、まとまる水と砕ける水があり、混沌がある。つまり、「秩序ある混沌」である。

それが表現された絵を見たとき、人は感動する。感じて、動く。それは、自然なる存在である人間の本性だろうと思います。

 

千住博さんの話に応えて、酒井邦嘉さんは、

人間の脳も100億以上の神経細胞があって混沌としているように見えますが、神経細胞の配列や脳の活動パターンに一定の秩序があるからこそ、合理的な行動や思考ができたり、言語や芸術などの創造的な行為ができます。

(『芸術を創る脳』  「なぜ絵画は美しいのか」より抜粋)

と述べています。人間の脳も「秩序ある混沌」である。そういう存在が「人」である。

 

惑星科学をテーマに自然科学を学んでいたときも、コンサルタントとしてビジネスを考えていたときも、最初はなんとなく世界を説明する理論があるような感覚を持っていたような気がします。

ただ、学んでいく中で、世界は本質的に「混沌」である。その中に安定した「構造」はないと強く感じるようになりました。

 

しかし、世界は「混沌」であり、確固とした「構造」はないが、「秩序」や「因果」は確かに存在していると感じます。つまり、混沌と秩序は同居している。一見すると矛盾しているようで、決して矛盾はしない。

その同居する「混沌」と「秩序」を探求する。それが私にとっての学問なのだろうと思います。

 

儚さを知りながら、探求する

人間は混沌や曖昧を嫌う傾向があります。確かな理論や存在にすがりたい。しかし、現実にはそういうものはない。根底を知り尽くせないと知りながらも、根底に迫り続けようとする行為こそ尊く、また、意味のあるものだと個人的には思います。

科学だ、技術だ、繁栄だというても、さらには政治や経済、あるいは学問だというても、長い目で見ると、実に頼りないものである、はかないものである。それはその中に存在する大事な根底を忘れておるからである。

根底を把握しない技術や学問は人間を不幸にするだけである、それに翻弄されて、いわゆる運命に弄ばれて終るだけである。しかし少しく冷静に観察すれば、その奥にもっともっと大事な、厳粛な理法というものが、道というものがある筈である。

この理法を学び、道を行じなければ、われわれは何物も頼むことはできない。(中略)

イデオロギーの何たるかを問わず、ああいうもので人間のことが解決されるなどと考えるものがあったら、これぐらい浅薄で愚劣なものはない。少し常識のある人ならわかる筈であります。

(安岡正篤  『「陰騭録」を読む』より抜粋)

根底を知ろうとする行為は、よく観察することから始まります。安心だからといって、無思考に目の前にあるものを受け入れてはいけない。世界が混沌である以上、そんなものは偽りの安心に過ぎない。

 

ある懇意にしていただいている方からお聞きした話ですが、その方のご両親はお二人とも画家で、小さいころ、自分にも絵を教えてくれたそうです。

あるとき、植え木をモチーフに絵を描こうとした際、緑の絵の具で葉っぱを描こうとすると、「それではダメだ。もっとよく葉っぱというものを見なくてはならない」と注意をされた。「葉っぱは枯れると茶色になる。つまり、この緑色の中には茶色が含まれている。まず、茶色を使いなさい」と。

 

実際に茶色を使ってから、葉っぱの緑を描くと、格段に絵がいきいきとする。そういうことを知っていく。感じていく。この話は、私の中で物事を学ぶということを考える際の原点の1つになっています。

 

そして、なぜ学ぶかというと、運命に翻弄されないため、今をより良く感じて、生をまっとうするためだと個人的には思います。道理に合わないことは、やはり無理である。

順天者存、逆天者亡、

天に順(したが)うものは存し、天に逆(さから)うものは亡ぶ。

(孟子  離婁上  七)

孟子は、世の中を力が支配しているのであれば、それに従うのも道であると述べています。徳がいかに正義であったとしても、道理を知った後に発揮しなければ、ただ亡ぶだけである。

人間はいつか死にますが、だからこそ、只今を生きることに尽くすべきだろうと思います。そのために必要なものが学問だと、個人的には思っています。

 

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瑞月
四国の香川県出身。細々としか続けておりませんが、合気道と剣術を少々しております。漢学教室で学習した内容の発信も行っています。

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