「ヤクニン」の構造 – 不信を生む機構

「ヤクニン」という日本語は、この当時、ローニン(攘夷浪士)ということばほどに国際語になっていた。ちなみに役人というのは、徳川封建制の特殊な風土からうまれた種族で、その精神内容は西洋の官僚ともちがっている。極度に事なかれで、何事も自分の責任で決定したがらず、ばくぜんと、

「上司」

ということばをつかい、「上司の命令であるから」といって、明快な答えを回避し、あとはヤクニン特有の魚のような無表情になる。

(司馬遼太郎  『世に棲む日々』より抜粋)

先日の記事に引き続き、司馬遼太郎の『世に棲む日々』の中で興味深いと感じた、日本の統治機構における「ヤクニン」という構造について、少し書き留めておきたいと思います。

 

役人の仕組む事、皆虚政なり

以前にも「『省』という字の知恵」と記事において、「役人」の性質に関する考察を引いたことがありますが、佐藤一斎の『重職心得箇条』には、以下のような教えがあります。

政事と云へば、拵(こしら)え事、繕(つくろ)ひ事をする様にのみなるなり。何事も自然の顕れたる儘にて参るを実政と云ふべし。役人の仕組む事、皆虚政なり。

老臣なと此風を始むべからず。大抵常事は成べき丈は簡易にすべし。手数を省く事肝要なり。

(佐藤一斎  重職心得箇条  十四)

経験を積んだ老臣がこのような虚政、空しい政治をやってはいけない。成べき丈(なるべく)は簡易にすべきであり、手数を省くことが肝要である。

 

さて、冒頭で紹介した一節は英仏米蘭の4カ国が長州を攻めた際、講和に来た「ヤクニン」に対して、英国の提督や通訳が感じた心情として述べられています。

初回に交渉に来た高杉晋作は英国の信頼を獲得したものの、「攘夷」へと暴走した長州藩士の世論によって身を隠さざるをえなくなり、代わりにきた藩役人は「ヤクニン」であったと。

 

「ヤクニン」については、さらに続けて、

— 上司とはいったいたれか。その上司とかけあおう。

と外国人が問いつめてゆくと、ヤクニンは言を左右にし、やがて「上司」とは責任と姓名をもった単独人ではなく、たとえば「老中会議」といった煙のような存在で、生身の実体がないということがわかる。

しかしヤクニンはあくまでも「上司、上司」と、それが日本の神社の神の託宣であるかのようにいう。

(司馬遼太郎  『世に棲む日々』より抜粋)

と表現されています。その、責任回避の能力のみが発達した特性に、よく似た特性を持つ帝政ロシアの官僚ですら驚いたといいます。

 

責任を蒸発させ、疑惑を生む「会議」

この日本における世論、そして「ヤクニン」の性質を最初から見抜いていた日本人は、伊藤俊輔(博文)とともに英国留学をしていた井上聞多(馨)だったと、司馬遼太郎は描いています。

井上はアーネスト・サトー(英国人の通訳)と同様、役人というものを知っていた。一国一藩の安危よりも自分の保身から物事を思考し、大事をきめるときは、かならず会議をし、すべての責任は「会議」がとるという建前をとり、責任を問われれば、

「自分一個はそうはおもっていないが、会議でそうきまったことだから」

という理屈をつかって責任の所在を蒸発させてしまう世界であるということを井上ほど知っていた者はない。

(司馬遼太郎  『世に棲む日々』より抜粋)

責任の回避を嗜好するか否かは別にして、私を含めて、やはり多くの日本人にはこのような性質があることは否めないと感じます。

 

そして、この「会議」という秘密の場は、さらに悪しき影響を生みます。

物事を隠す風儀、甚だあしし。機事は密なるべけれども、打出して能き事迄も韜(つつ)み隠す時は却って、衆人に探る心を持たせる様になるもの也。

(佐藤一斎  重職心得箇条  十六)

個人にとっても、組織にとっても、不信ほどに恐ろしいものはない。情報が溢れる現代だからこそ、不信は至るところで生じやすいと感じます。

しかし、人間は互いを完全に理解することはできないが故に、「信」によって関係を維持するしかない。案外、これが情報が溢れる時代における知恵ではないかとも感じます。

 

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瑞月
四国の香川県出身。細々としか続けておりませんが、合気道と剣術を少々しております。漢学教室で学習した内容の発信も行っています。

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