思想と虚構 – 『世に棲む日々』にみる思想観

思想とは本来、人間が考えだした最大の虚構 — 大うそ — であろう。松蔭は思想家であった。かれはかれ自身の頭から、蚕が糸をはきだすように日本国家という奇妙な虚構をつくりだし、その虚構を論理化し、それを結晶体のようにきらきらと完成させ、かれ自身もその「虚構」のために死に、死ぬことによって自分自身の虚構を後世にむかって実在化させた。

これほどの思想家は、日本歴史のなかで二人といない。

(司馬遼太郎  『世に棲む日々』より抜粋)

司馬遼太郎の小説、『世に棲む日々』は幕末長州の狂気を吉田松陰と高杉晋作の2人の人物を軸に描いています。思想というと、とかく高尚に扱われがちですが、「思想を虚構」とする洞察は核心を突いたものであると感じます。

 

「思想家」吉田松蔭と「現実家」高杉晋作

松蔭は晩年、「思想を維持する精神は、狂気でなければならない」という、思想の本質を悟るに至ったと司馬遼太郎は表現しています。思想という虚構は、正気のままでは単なる幻想であり、それを狂気によって維持するとき、はじめて現実を動かす実態になりうると。

松蔭は、彼が愛した「狂」によって、彼の思想を現実のものにしようとした。そして、それをもっともよく引き継ぐ「思想体質者」であると松蔭が考えたのは、高杉晋作ではなく、久坂玄瑞だったとされます。

 

思想というのは要するに論理化された夢想または空想であり、本来はまぼろしである。それを信じ、それをかつぎ、そのまぼろしを実現しようという狂信狂態の徒が出てはじめて虹のようなあざやかさを示す。

思想が思想になるにはそれを神体のようにかつぎあげてわめきまわる物狂いの徒が必要なのであり、松蔭の弟子では久坂玄瑞がそういう体質を持っていた。要は体質なのである。

松蔭が「久坂こそ自分の後継者」とおもっていたのはその体質を見ぬいたからであろう。思想を受容する者は、狂信しなければ思想をうけとめることはできない。

(司馬遼太郎  『世に棲む日々』より抜粋)

一方で、高杉晋作については「直感力にすぐれた現実家」であるとされます。現実家はつねに醒めている。思想というアルコールに酔えないたちであると。

 

そして、やはり「思想家」である松蔭と「現実家」である晋作の2人が揃ってこそ、革命が成ったとみるのが正しいのではないかと感じます。

革命の初動期は詩人的な予言者があらわれ、「偏執」の言動をとって世から追いつめられ、からなず非業に死ぬ。松蔭がそれにあたるであろう。革命の中期には卓抜な行動家があらわれ、奇策縦横の行動をもって雷電風雨のような行動をとる。高杉晋作、坂本竜馬らがそれに相当し、この危険な事業家もまた多くは死ぬ。

それらの果実を採って先駆者の理想を容赦なくすて、処理可能なかたちで革命の世をつくり、大いに栄達するのが、処理家たちのしごとである。伊藤博文がそれにあたる。松蔭の松下村塾は世界史的な例からみてもきわめてまれなことに、その三種類の人間群をそなえることができた。

(司馬遼太郎  『世に棲む日々』より抜粋)

 

膨大な論理によって、世界を説明する

思想やイデオロギーの問題については、KADOKAWA・DWANGOの川上量生会長が述べている論も似ており、とても核心を突いていると感じます。

大量の式があったら、世の中にあるほとんどの現象は、近似できてしまう。それと同じで、膨大な論理があったら、世の中の大抵のことは説明できちゃうんですよね。

これはどういうことかというと、世界をエミュレーションするために集合した大量の論理というのは、力を持つということです。それを突き崩すのは、非常に難しくなる。世界を曲がりなりにも、正しく記述できちゃってるわけですからね。この構造が、実はイデオロギーというものの正体なんじゃないかと。

(川上量生  『ニコニコ哲学』より抜粋)

その上で、天動説と地動説の違いを例にして、「真理に近い論理はよりシンプルになる」と述べています。

 

私は理学部で惑星科学を専攻していたこともあり、真理に近い、シンプルな論理を美しいと感じる気持ちはありますが、一方で思想に触れるとき、正しさとは信念を持った虚構に過ぎないとも感じます。

特に東洋思想は、常に限定的な正しさしか持たないことを前提にした思想体系であるため、その正しさの前提となっている文脈を意識することが多く、なるべく原典に当たりたいと思う気持ちを強く持ちます。

 

思想とは「人間が考えだした最大の虚構」である、イデオロギーとは「世界をエミュレーションするために集合した大量の論理」であるという考え方は、思想を扱うに際して持つべき前提だろうと感じます。

 

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