乙未の意味 – 2015年迎春にあたり

在来の殻を破り、春気に応じて新しく芽を出したのはよいが、すなわち甲になったのはよいが、それが真っ直ぐに伸びないで、いろいろ外界の寒気・抵抗に遭って紆余曲折する、というのが「乙」の字です。日本人はあまり使わぬが、乙乙という熟語がある。ああでもない、こうでもない、と紆余曲折・悩むことです。

「未」は、これは上の短い一と木から成っておって、一はやはり木の上層部、すなわち枝葉の繁茂を表しておる。ところが枝葉が繁茂すると暗くなるから、未をくらいと読む。未は昧に通ずる。つまり支の「未」は、暗くしてはいけない、不昧でなければならぬ、ということを我々に教えてくれておるのです。

(安岡正篤  『干支の活学』より抜粋)

芽を出した形である「甲」に、突き上げを表す「午」が重なり、2013年の癸巳から始まった新たな活動を慎重に育てる年であった、2014年の甲午(こうご/きのえ・うま)ももうすぐ暮れようとしています。

2015年の干支は、甲午から発展した「乙未(いつみ/きのと・ひつじ)」です。

 

乙 – 外からの障害に遭い、屈曲する形

「甲」はかいわれが芽を出した形、殻を破った形でしたが、「乙」は芽が出たものの、なお寒さや障害に遭って屈曲している形を表します。許慎の『説文解字』には、「陰気尚ほ強く、其の出づること乙乙たるに象るなり」とあります。

芽は出たが、まだ真っ直ぐに伸びることができない。抵抗も強く、紆余曲折するが、一方でそれにくじけてはいけないというのが、「乙」の教えるところだろうと思います。

 

未 – 昧なり、木は未に老ゆ

木の枝葉の茂りゆく形。[説文]に「昧なり。六月の滋味なり。五行、木は未に老ゆ。木の枝葉を重ぬるに象るなり」とする。枝葉の伸びる形で、これを剪裁するを制という。

(白川静  『字通』より抜粋)

木が茂ると「未」になる。茂るからよいかと言えば、そうとも言えず、茂ることは昧さを招き、また、枯れることへとつながります。

安岡正篤はしばしば、「木の五衰」ということを引き、

枝葉が繁りすぎると、日光が遮られ、風通しが悪くなって、虫がつく。木が弱って梢(うら)止まり、つまり成長が止まる。そうなると裾上がり、根上がりが始まり、活力の源泉が乏しくなるから、梢枯れ現象が始まる。天辺から枯れだす。人間も同様である。

(安岡正篤  『干支の活学』より抜粋)

と説いています。

 

茂ると今まで見えていたものが見えなくなり、通っていたものが通らなくなる。確かにこれは道理です。茂るからこそ、思い切って枝葉を刈り取り、根固めが必要ということだろうと思います。

そういう意味では、「未」の年は茂らせる年ではなく、制する年と言えるのかもしれません。

 

障害に屈せず、枝葉を刈り取り根固めする年

二字の意味を総括すると、「乙未」の年は、

なお障害が強く苦労する年であるが、それに屈することなく弾力を保ち、繁茂する枝葉に昧くなることなく、枝葉は刈り取り、しっかりと根固めをすべき年

と言えそうです。「乙」であるから、なかなかすんなりとは伸びない。非常に苦労の多い年である。しかし、いかに紆余曲折があろうとも、やはり物事は進めていかなくてはならない。逆に言うと、

様々な障害、思うように伸びないことに気を取られて、茂る枝葉を制することを疎かにしてしまうと、根っこからの腐敗につながりかねない年

ともなります。

 

事業を大きく育てるための我慢の年

「乙未」は、外からの障害は強く、内的にも茂る枝葉が昧さを招く。外に対しても、内に対してもよく耐えて、屈することなく、物事を明らかにしていくことが求められる、我慢の年と言えます。

発展の途上だからこそ、苦労も多い。苦労の中での乙未、2015年の態度は、国家、企業、個人それぞれの事業において、とても大切になるだろうと感じます。

 

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