公的機関の成功事例としての明治維新

公的機関の成果をめぐる最も重要な事例は、十九世紀後半、つまり1968年の明治維新後における日本の発展ぶりではないだろうか。従来の日本は厳格な身分社会が残り、農業頼みゆえの貧しさにあえいでいたが、明治維新以後の30年間に近代国家へと変貌した。

強大な軍事力によって帝政ロシアを打ち破り、世界貿易においても大きな役割を果たすようになった。そのうえ、他国に先駆けて、ほぼ100%の識字率を達成したのである。

(ドラッカー  『マネジメント』  第13章より抜粋)

明治維新の成功というと、高い精神性と志士仁人たちの奮闘、その背景として、江戸時代において理想的修養が受け継がれた地方武士と女性の教育などから説かれることも多いように感じますが、もちろん現実としても非常に優れた改革です。

たまたまドラッカーの『マネジメント』を読んでいて、興味深い考察を発見したので、マネジメント的な観点を含めて少し整理できればと思います。

 

将来の本分を見極める – 国家百年の計

ドラッカーは大多数の公的機関について、「手順しか生み出さない」と評しています。その上で、優れた効果をあげられる公的機関も確かに存在し、

公的組織の舵取りをする人々は、組織の本分は何か、将来の本分は何か、何を本分にすべきかに関して、みずからリスクを伴う判断を下さないかぎり、一般受けのしない、意見が大きく分かれる施策に打って出られないのだ。

(ドラッカー  『マネジメント』  第13章より抜粋)

指摘しています。

 

『論語』にある有名な一節は、本分を見極めること以上に、それを実行することの難しさを見事に表現していると感じます。

民可使由之、不可使知之、

民は之を由らしむべし。之を知らしむべからず。

(論語  泰伯第八  九)

民衆はやはり日々の生活が大切であり、将来を見据えた政治の意図を完全に理解してもらうことはなかなかに難しい。そこで、民衆を治める術としては、感化によって正しき道によりしたがわせることしかできない。

将来の本分を見極めたとしても、それが民衆に受け入れられることは少ない。「一般受けのしない」、「リスクを伴う判断」を下し、なおも民を由らしめることができるか。これが成否の分かれ目ということだろうと思います。

 

一方で、私心では将来の本分を見極め、国家百年の計を立てることはできない。維新三傑の筆頭、西郷隆盛の遺訓には、

生命も要らず、名も要らず、官位も金も要らぬ人は、御し難きものなり。然れども此の御し難き人に非ざれば、艱難を共にして国家の大業を計る可からず。

(西郷隆盛  『大西郷遺訓』)

とあります。御し難き人であってはじめて、艱難を共にして国家の大業を計ることができる。これもまた、とても大切な教訓だと感じます。

 

優先事項に力を注ぐ – 和と決断の徳

日本人は「和」を尊しとするあまり、決断力に欠けると評されることもあります。「和を以て貴しと為す」は『礼記』の言葉ですが、日本においては聖徳太子が「十七条憲法」の第一条に採ったことで有名です。

しかし、「和」は本来、きちんと意見を戦わせることで物事をととのえることです。その点で、「和」と「同」は似て非なるものである。さらに、三種の神器の1つとして天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)があることは、我々の祖先が「決断」をとても大切にしたことを示しています。(参考:象徴に感ずる – 三種の神器が伝える徳

 

「和」と「同」の違いについては、宮城谷昌光が『晏子』の中で紹介している、『春秋左氏伝』の逸話が非常にわかりやすいと感じます。つまり、

「和をたとえれば、羹(あつもの)です」

羹は魚や肉のスープのことである。このスープは、もともとあいいれない火と水をもってつくる。味をつけて煮込むのであるが、味も熱さもととのったところで君主の口に入る。

君臣の関係もおなじようなもので、君主がよいといったことでも不備があれば臣下は進言し、君主の聴許を完全なものにする。君主がならぬといったことでもよい点があれば臣下は進言し、君主の不可を可にかえる。そうすることで、政治がととのう。

「ところが拠はちがいます。君がよしと仰せになれば、拠もおなじくよしとする。君がならぬと仰せになれば、拠もおなじくならぬとする。はじめは水の味であった羹の味をととのえるのに、水だけをもちいて、たれが食べられましょう」

(宮城谷昌光  『晏子』より抜粋)

「拠」は、斉の君主である景公が愛した臣下である「梁丘拠(りょうきゅうきょ)」のことです。いずれにせよ、「和」とは決して消極的な雷同ではなく、積極的な調和を意味する。

 

明治維新を導いた人々には、真の和と決断力があった。ドラッカーは、

日本を偉業へと導いたのは、有能で勤勉ではあるが、平凡な人々だった。成功の秘密は、明治時代の日本人が目標を徹底的に考え抜き、少数の優先事項を決め、それらに集中しようとの意欲を持っていたことにある。

(ドラッカー  『マネジメント』  第13章より抜粋)

と評しています。「富国強兵」という目標のために、一般の人々の識字率を高め、統一的な地域行政と司法制度を導入する。

 

もちろん、これらを優先することがよいかどうかは意見の分かれるところである。しかし、これらの優先事項の実現に力を注いだことが、明治維新の大きな成果につながったとドラッカーは考察しています。

たとえば、小作農の地位向上を図る、有無を言わさぬ産業化による混乱から貧しい人を守る、といった政策はほとんど取られなかった。(中略)明治政府の人々は、このような見落としにも気づいていたが、あえて優先度順位を付けるべきだと考え、優先すべき事項が何かを熟考したうえで、才能、勤勉さ、愛国心を備えた人々の精力をそこに集中させたのだ。

(ドラッカー  『マネジメント』  第13章より抜粋)

と。これはマネジメントの成功事例であると同時に、日本人が尊んだ和と決断という徳の功績だと個人的には感じます。

 

しかし、優先事項の裏に何があるのかを見定めることも、経営の上では非常に重要です。一体、何を優先しなかったのかを知らなければならない。その意味で、ドラッカーの最後の考察もまた、非常に示唆に富んでいます。

日本は明治時代に躍進を遂げたが、それがいまやかえって重荷になっている。明治のリーダーたちは、きわめて慎重に優先事項を定め、それ以外の課題は二の次にしたり、先延ばしにしたりした。

その後継者たちは、他の優先事項を考慮しようとしなかった。この結果、明治のリーダーたちにとって日本の独立を守る手段だった強兵は、それ自体が目的となり、やがて日本を大きな不幸へと導いた。明治時代の成果もほとんどが失われたのである。

(ドラッカー  『マネジメント』  第13章より抜粋)

政治・ビジネスに関わるとき、また、家庭の運営においても味識すべき考察だと感じます。

 

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瑞月
四国の香川県出身。細々としか続けておりませんが、合気道と剣術を少々しております。漢学教室で学習した内容の発信も行っています。

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