象徴に感ずる – 三種の神器が伝える徳

何ごとの  おわしますかは知らねども  かたじけなさに涙こぼるる

(西行法師)

武士でありながら出家をし、仏道・歌道をおさめて松尾芭蕉にも影響を与えたといわれる西行法師が、伊勢神宮に詣でた際に詠った歌です。日本人の感性をよく表現した歌として有名ですが、この「象徴に感ずる」というのは、まさに日本人の感性だと感じます。

 

分析理解する西洋、統合感得する東洋

西洋と東洋の思考法の違いはさまざまな側面があると思いますが、私が強く感じるのは「理解」を重んじるか、「感得」を重んじるかの違いです。

 

西洋は(ここでは主にヨーロッパや多民族国家であるアメリカを想定していますが)、常に異民族との衝突・交渉が生じるという地理的・構造的な特徴があります。その場合、やはり言葉による定義、解釈の揺るぐことのない唯一の「理解」が重要になります。

ビジネスを行う上では、これはもちろん非常に重要です。というよりも、この価値観に強い者が勝てるように社会の構造を定義した点に、真に尊敬する点があると感じます。

 

また、西洋において人間以外の存在は支配・征服すべき対象です。それは、「森」に象徴される自然に対する畏怖が根底にあると思っているのですが、とにかく支配しようと思うと、相手を分析理解し、自らより劣った存在にしなくてはならない。

 

ただ、あまりに分析的になると、本質が何なのか分からなくなる。例えば、売上は順調だが、社員は疲弊しているといったことはおそらく良くないことですが、数字だけ見ていると、何が大事なのかわからなくなる。

GE(ゼネラル・エレクトリック)のCEO、ジェフ・イメルトは「矛盾する複数の指標、また、短期目標・長期目標の双方を達成するのが21世紀のリーダーである」という旨のことを述べていますが、このレベルに到達できるのは素養としても一握りの人間だろうと思います。

 

西洋に対して東洋、ここでは主に日本を想定しますが、自然というものを重視する。西洋の自然の象徴である「森」が畏怖の対象であったのに対して、日本における(おそらく中国やインドにおいても)自然は人を害すると同時に生かすものである。

もちろん、国内や異民族の衝突はありますが、その程度は西洋に比べて緩やかで、かつ、自然に対する敬意という点では近しい価値観を持っている。

 

そこで「理解」よりも世界を世界として感じること、「感得」することに精神が向けられたのではないかと思います。

 

三種の神器が象徴する徳 – 仁・智・武

日本における象徴として、もっとも有名なものの1つが「三種の神器」だと思います。「実在は確認されていない」、「解釈は儒学伝来以後のものである」など、つまらない考証学的な議論はありますが、要するに我々の祖先がそれにある種の力を感じてきたということが重要な問題です。

 

八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)は穆(内実満ちて美しいさま)たる「仁愛」、八咫鏡(やたのかがみ)は仁に即して発し、明らかにする「明智」、天叢雲剣(あまのむらくものつるぎ)は矛盾を統一する「武勇」を表す。

つまり、思いやりを持ち、明るい智慧によって物事を照らし、善悪・矛盾を統一して導く武勇を日本人は美徳としたということだと思います。

 

『孫子』の「作戦編」に見られる「勝つことを尊び、久しきを尊ばず」という教えからも、「武」は戈(か、中国古代の武器)を止めることであり、決して暴ではなく、むしろ争いを収める徳であることが分かります。

 

三種の神器は、日本民族が古来大切にしてきたものを実によく表していると感じます。そして、それを理解しようとするのではなく、感じようとする。あえて言葉ですべてを説明し、残そうとしない。むしろ、象徴を象徴のままで伝えるところに、日本人の強さがあると思います。ある人はそれを「弱さ」と言いますが、私は決してそうは思いません。

 

チームラボの猪子さんは、「言葉でしか良さを説明できないものは価値がない」とおっしゃっていますが、これは一種、日本人的な感性なのかもしれないとも感じます。

 

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