甲午の意味 – 2014年迎春にあたり

「甲」はかいわれ、春になって樹の芽が冬中被っておった殻を破って出てきたすがた、つまり鱗芽が外に発現した象形文字であります。だから物事のはじめを意味し、はじまるとも読む。その芽がぐんとのびると申(伸・のびる)であります。またはじめという意味から、十分慎重にやらなければならぬので、つつしむという意味があり、新しく始めるところの法令・制度を意味する。

ところが新しく始まろうとする機運にはあるのだけれども、人間というものは、ともすれば旧来の陋習になれてしまって、改革・革新をやらず、因循姑息になり、すべてにだれてしまいがちであります。そこで甲は狎(なれる)に通じる。

「午」はどういうことを表すかというと、上の午は古代文字では「ノ一」と書き、これは地表を表しておる。十の一は陽気で、Ⅰは陰気が下から突き上げてまさに地表に出ようとする象形文字であります。だから「午は忤なり」でそむく、さからうという意味になるわけです。

(安岡正篤  『干支の活学』より抜粋)

2013年の癸巳(きし/みずのと・へび)は「万事筋道を立てて、因習を捨てて新たな活動を清々しく始めるべき年」でしたが、癸巳から発展した「甲午(こうご/きのえ・うま)」が2014年の干支です。

 

甲 – 殻を破り、芽を出す形

「甲」は殻を破って、かいわれが芽を出した形。はじまりを表すとともに、まだ芽が出始めたばかりに過ぎないため、慎重を期すべきことを教える形です。新しいはじまりの機運はあるものの、油断して旧来陋習に堕せば「甲」は「申」(伸)にならぬまま、衰えてしまいます。

まだ芽が出たばかりであることを自覚し、慎ましく、その芽を育てて「申」(伸)へのつなぐ必要がある。狎れることなく、新たな芽をしっかり育てる必要があります。

 

午 – 正邪・新旧交わり、突き上げる形

漢字の生まれた時代に陰陽・生長の概念はまだ生じておらず、白川静の『字統』には、

午は杵の形であるが、これを呪器として邪悪を祓うことがあり、その祭儀を御という。(中略)この呪器をもって禦祀(ぎょし)を行うが、それは防禦的な意味の祭儀であるから、逆らう意を生ずる。

(白川静  『字統』より抜粋)

とあります。いずれにしても、「午」は邪気が生じ、それを祓う形であり、陰陽・正邪・新旧など相対する勢力が交わり、突き上げの生じる形と解することができます。

 

これまでの勢力だけでなく、旧勢力に対して新勢力が生じる、また、現存勢力内でも正邪が生じる。それによって、突き上げが生じる。この対立をよく処理できるか否かで、今後が大きく変わる。よく処理し、それを発展の元とできなければ、矛盾・混乱が盛んになってしまう。

 

突き上げをよく処理し、慎重に芽を育てる年

双方の文字の意味を解すると、「甲午」の年は、

因循姑息に堕すことなく、新勢力の突き上げをよく処理し、生じた革新・維新の芽を慎重に育てるべき年

と言えます。逆に見ると、

新たなはじまりの機運は生じているものの、旧来の陋習に狎れて、慎ましさ・慎重さを失えば、新勢力の突き上げに遭って芽生えが途切れてしまう年

となります。日本の政治・経済の状況を見るに、まさに的を得ている示唆とも感じます。

 

慎ましさと果断によって、甲を申とする

国家であっても企業であっても、また、個人の生活においても、新たなはじまりに反対勢力が生じるのは当然です。ただ、はじまりの機運はすでにある。このはじまりの機運(甲)を革新・維新(申・伸)につなげなくてはならない。

芽が出たことに良い気になって、旧来の陋習に堕してはすべてが無に帰すこともあります。反対勢力によって、混乱を生じてしまうこともある。慎ましさと果断を以て処理すべき年であると感じます。

 

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