朱子学と陽明学 – 脳科学からの考察

「格物」の解釈をめぐる陽明学派と朱子学派の相違が実際面においてどのように現れてくるのか。例えば、為政者はなぜ朱子学派の方を採用しているのか。なぜ陽明学派の説を時の為政者は採らぬかがこれで分かる。

一方(朱子学派)は、物の真相に到達することを「物に至る」という態度で行っている。一方(陽明学派)は「物を正すにあり」という態度である。現在の有様は必ずしも真であるかどうか分からぬのである。

もし間違っているなら、これを我々が正して行かなければならぬ、と考える。こうした極めて改革的な考えを陽明学派の方がどうしても持つ。これに対し、朱子学派の方は、とにもかくにも物をよく見ようというわけで、「改める」というよりは「物を見よう」という立場にある。

「物を考えよう、観察しよう」が一転すれば、一方は非常に保守的になり、一方は非常に変革、革命的になってくる。だから社会生活、国家生活でいうと、朱子学派の方は、一応現在の生活、現在の秩序を是認してかかる。陽明学派の方は、現在の如何にかかわらず、終始己れの良心に顧みて、自分の思索判断から現実を直ちになんとか処理してゆこう、変革してゆこうという態度である。

これを支配階級からいうならば、どちらが自分たちに便利であるか、明瞭である。朱子学派の方が便利である。陽明学派の方は危なくてしようがない。自分たち(支配階級)のしていることを直ぐには受け入れないで、いっぺん考えてみる。そして自分で考えて、こうしなければならぬということになると、どこまでもそれを通す。

これでは支配階級にとって、まことに都合が悪い。そこで、陽明学派は日本では必ず遠ざけられた。朱子学派の方が都合がよい。

これは「格物」の「格」の読み方で直ぐに分かることです。それだけに、どちらが生き生きしてくるかと言えば、陽明学派の方が生き生きしてくる。どちらが間違えやすいかと言えば、陽明学派の方が間違いやすい。したがって陽明学派というものは大いに洗練警戒を要するわけであります。

(安岡正篤  『古本大学講義』より抜粋)

「格物」は『大学』が掲げる修養の原点となる条目で、

  • 朱子学派では「物に格(いた)る」
  • 陽明学派では「物を格(ただ)す」

と解釈します。そして、そこにすでに朱子学派と陽明学派の本質的な違いが見られると安岡正篤の説きます。

 

至るは学習、正すは知新

いろいろと意味はあると思いますが、「物に至る」という態度は物の真相に迫る態度であり、どちらかというと「学びて習う」という態度に違いと感じます。また、科学的・分析的な捉え方であると感じます。

一方、「物を正す」という態度は明らかに変革的であり、「新しきを知る」という創造的な態度、また哲学的・認識的な捉え方であると感じます。「物を正す」には、自らの認識によって善悪を解釈することが必要となります。(参考:学びて習う – 学習の本義

 

そういう意味でいうと、現代の社会は「学習」が重視されていると感じます。もちろん、「好きなことをやれ、自分で判断しろ」とは言われますが、科学的知識や正しい答えのある中で教育を受け、企業に勤めれば創造的な態度より形式的な態度が染み付いていきます。

それでは「知新」は少なく、また、感動も薄くなると感じます。

 

自ら生きることで、脳は新たになる

さて、私の友人に脳科学を専攻していた人がいるのですが、先日、非常に興味深いことを教えてくれました。

 

彼が言うには、「自ら感じ考えて行う意志決定と、他人の意見・指示に基づく意思決定では脳内のプロセスが異なる」。そして、「自らによる意思決定には記憶をつかさどる海馬という器官が関与するが、そうでない場合には関与しない」そうです。

「海馬」は短期記憶の器官であり、短期記憶は長期記憶となる際にタンパク質として大脳皮質に移行します。大脳皮質は大脳を覆う部位で我々が想像するいわゆる脳の形です。つまり、記憶は脳を日々、新たにしています。

 

「自ら感じ考えて行う意思決定」は、どちらかというと陽明学的です。そして、脳科学の視点から見ると陽明学派は日々、脳を新たにして生きる姿勢ということになります。だからこそ、生き生きとする。だからこそ、間違えやすくもある。

友人から脳の仕組みの話を聞いたとき、非常に得心がいき、また古人の知恵の本質的な洞察力に感動したことを覚えています。

 

感動を持って生き、終生化す

ベンチャー企業やスタートアップと呼ばれる企業の方とお話をしたり、私自身がお世話になっている会社を見ていると、創業期には特殊な才能を持った人間が集まりやすく、また、非常に成長する人材があると感じます。

それもまた、自ら考え抜いて、失敗せざると得ない環境で意思決定を行うこと、それによって脳が圧倒的に変化することが一因となっているのではないかと思います。

 

自らによる意思決定、そして、感動もまた記憶に非常に強く残ります。それらによって、日々新たに生きる。脳を活性化させ、変化させていく。それを生涯、続けることができれば素晴らしいことだと思います。

 

『淮南子』にあるの蘧伯玉の逸話、

年五十にして四十九年の非を知る。六十にして六十化す。

(淮南子  原道訓)

とは、まさに人の目指すべき姿であると感じます。

 

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瑞月
四国の香川県出身。細々としか続けておりませんが、合気道と剣術を少々しております。漢学教室で学習した内容の発信も行っています。

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