人物の修養 – 短所を長所となす

修養というものは、寧ろその人の持っている性格の欠陥をそのままに美化し善化すること、欠陥を長所にすることであります。短所をそのままに長所にすることが修養の妙味であります。人物を養わぬというと折角の長所もそのまま短所になってしまう。修養しない、人物を練らないというと、例えば目鼻立をよく生んで貰ったら、その目鼻立がその人間の罪悪になり、その人間の短所になる。(中略)

世の中には長所が短所の人間があり、短所が長所の人間もある、この短所が長所の人間程偉大なる人物であります。

(安岡正篤  『経世瑣言  続編』より抜粋)

現代は強みを活かせ、得意なことをやれ、と教えられます。それはもちろん結構なことですが、人物を練るとはその先、短所が却って長所になる、強味になり、魅力になるということだと思います。

 

「強み」のマネジメント

現代経営学、マネジメントという概念の創始者ともいわれるドラッカーは、

build on strength. (強みの上に築く)

という言葉で代表されるように、組織においても個人においても「強みを管理し、強化すること」、そして「成長できない環境からは速やかに抜け出すこと」を薦めます。

 

ゲイリー・ハメルの提唱した「競合他社には真似できない、圧倒的で核となる能力」、すなわちコアコンピタンスという概念は経営においては有効だと感じますし、ドラッカーは「トップマネジメント以外はすべてアウトソーシングできる」、

In the Next Society’s corporation, top management will be the company.Everything else can be outsourced.

とまで説きます。徹底したフォーカスこそが現代の経営であり、価値・使命・ビジョンの確立というトップマネジメントの機能以外は核ではなく、外部に委託することを検討すべきとされます。

 

「弱み」を「強み」へと善化する

徹底したフォーカス、強みのさらなる強化は検討すべきだと思いますが、個人的にはそれだけでは味気ない、魅力がないと感じます。

 

もちろん、仕事においては強みにフォーカスした方が出せる価値は大きくなる。苦手なことというのは結局は苦手、なかなか巧くは出来ませんし、例えば、美男美女であったり社交的であったりするプレイヤーが営業に強みを発揮するのは当然ではあります。

 

ただ、皆が強みを活かして輝いているというのは、ちょっと聞くと素晴らしいようですが、個人的には気持ちが悪いと思う。なぜなら、人にも組織にも「弱み」があるのが当然であり、それを認めて、美化・善化していかなくては、それはただの歯車・機械に過ぎないと感じるからです。

 

人にも組織にも風韻、風格、造詣があってこそ魅力的です。そして、そうであってこそ本当に長期的に発展できる。それは生成化育の知恵を伝える『易経』を読んでいても感じます。つまり、陽気ばかりでは発展がなく、栄枯盛衰であってこそ持続生長があります。

 

人物を練る、人物を養う

成長・成功の理論はいろいろとありますが、要するに修養努力、人物に学び、実践することに尽きるのだろうと思います。どのような理論に依ろうが、例えば、西洋流の経営理論に沿って修練をしても、突き詰めた人物にはやはり魅力があります。安岡正篤の言うところの「その人独特の一種の芸術的存在」だと感じます。

 

その道が何かというと、結局は自己を高める努力・工夫こそが本質であろうと思います。逆に見ると、自分の「強み」しか認識できていない人はそれだけの枠の中でしか活動していない。たとえ「弱み」を認識しても、自分には関係ないとして工夫をしない。

それでは真の修養ではなく、人格の高まりもなく、魅力的な人物となったり、人を惹き付ける組織を創ったりすることはできないと感じます。

 

若し日本人が本当に修養すれば、私はそうは思わぬが、仮りに世人が言うが如く我国を持たざる国とするならば、持たざることが日本の強味になる。若し日本人が道を誤る時には、日本人の持てる誇るべきものも弱点になる、短所になる。

個人も国家もその点は同じことであります。これが人物学の必要な所以であり、人物修養の大切なところであります。

(安岡正篤  『経世瑣言  続編』より抜粋)

玩味すべき教えだと感じます。

 

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