天下万変すとも、喜怒哀楽の四者を出でず

天下事雖萬変、吾所以應之、不乎出喜怒哀楽四者、此為学之要、而為政亦在其中矣、

天下の事は万変すと雖も、吾の之に応ずる所以は喜怒哀楽の四者を出でず。これ学を為すの要にして、政を為すも亦たその中にあり。

(王陽明  文録  「王純甫に与ふ」より抜粋)

『文録』は王陽明が友人や弟子に与えた手紙や言葉をまとめたものです。

『易経』に「書は言を尽くさず、言は意を尽くさず」とありますが、王陽明も学問が文章を研究することに堕さないよう、自身の言葉を刊行することを許しませんでした。しかし、再三の弟子の懇願によって、ただ年月順に並べることを条件として、編纂を許したとされます。

 

達道 – 喜怒哀楽発して、みな節に中る

王陽明は人間に感情があることを否定しません。むしろ、「事上磨錬」という言葉で説かれるように、静座の修養を善しとはしない。人間には感情があり、いかにその感情が現実に当たって乱れないようにするかを大切にします。

いかに喜び、怒り、哀しみ、楽しむかが学問を修める上で肝要であり、政治もまたそうである。人は素直な感動を以てこそ、生きることができると私は思います。

 

最近の脳科学の研究では、感情は論理より上位にあるとも言われます。論理的判断は、実は感情の下でなされている。結局、人は感情を持つ存在であり、その感情をいかに発するかが人の格を決めます。

 

『中庸』には、

喜怒哀楽之未発、謂之中、発而皆中節、謂之和、中也者、天下之大本也、和也者、天下之達道也、致中和、天地位焉、萬物育焉、

喜怒哀楽の未だ発せざる、之を中と謂う。発してみな節に中(あた)る、之を和と謂う。中は天下の大本なり。和は天下の達道なり。中和を致して、天地位し、万物育す。

(中庸  第一章)

とあります。喜怒哀楽は外からの刺激によって生じるものであり、普段は静かに偏りなく、自身の中に渾然としてある。これが「中」であり、大本です。偏見や贔屓目を持たず、鎮まっていなくてはならない。

その喜怒哀楽は物事に応じて発せられます。それを発して節度に合する。過ぎることもなく、及ばないこともない。これが「和」であり、達道です。正しい情を得てはじめて、正しい判断を下すことができます。

 

人が生きる上で、また、社会を運営する上で、喜怒哀楽は当然、発せられなくてはいけません。感情、感動をなくして、人は動かない。

では、その喜怒哀楽をいかに発するか。きちんと喜ぶべき時に喜ぶことができるか。いつが怒るべき時、悲しむべき時、楽しむべき時なのか。それを知り、行えるようにするために学問があるのだと思います。

 

素行 – 富貴は富貴に、貧賎は貧賎に行う

修養は「事上磨錬」、事に当たって修養すること、そして、それぞれの状況に素して行うことが重要だと感じます。そうしてこそ、正しい喜怒哀楽の発し方を学び、習うことができる。

 

素して行う、つまり「素行」は、以前にもご紹介したように山鹿子敬の号としても有名ですが、

君子素其位而行、不願乎其外、素富貴、行乎富貴、素貧賎、行乎貧賎、素夷狄、行乎夷狄、素患難、行乎患難、君子無入而不自得焉、

君子はその位に素して行い、その外(ほか)を願わず。富貴に素しては富貴に行い、貧賎に素しては貧賎に行い、夷狄に素しては夷狄に行い、患難に素しては患難に行う。君子入るとして自得せざるなし。

(中庸  第十四章)

から採られています。修養とは、「位に素して行う」。これを出るものではないのだと思います。

 

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瑞月
四国の香川県出身。細々としか続けておりませんが、合気道と剣術を少々しております。漢学教室で学習した内容の発信も行っています。

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