暮夜の無知、楊震の四知

密曰、暮夜無知者、震曰、天知、地知、我知、子知、何謂無知者、密愧而出、

密曰く、「暮夜なれば知る者無し」と。震曰く、「天知る、地知る、我知る、子知る。何をか知る者無しと謂わんや」。密、愧じて出づ。

(資治通鑑  漢紀)

宮城谷昌光の小説、『三国志』にも採られた「楊震の四知」です。暮夜に紛れて、知る人もいないからと賄賂を差し出す王密に対して、「天と地と、我と子(なんじ)が知っている」と楊震が返す。実に爽やかで、鋭い切り返しだと感じます。

 

暮夜無知は百悪の総根なり

楊震は後漢の人で、「関西の孔子、楊伯起」(伯起は字)といわれた清廉の士です。「四知」の逸話は最初、『後漢書』の「楊震伝」に採られたものですが、朱子の『小学』や司馬光の『資治通鑑』でも紹介されています。

「暮夜の無知」と「四知」は、共に中国の歴史上、非常に高名な故事です。楊震のいった通り、まさに「何をか知る者無しと謂わんや」となり、その点でも非常に興味深いと感じます。

 

ちなみに、『後漢書』と『小学』では、「天知る、神知る、我知る、子知る」となっていますが、宮城谷昌光は『資治通鑑』の「天地我子」を選び、採りあげています。私も「天地我子」の方がすっきりと入ってくるように感じます。

 

「暮夜の無知」については、呂坤の『呻吟語』に、

暮夜無知の四字は、百悪の総根なり。人の罪は欺くより大なるはなし。欺く者はその無知を利するなり。

(呂坤  呻吟語  存心第二)

とあります。「暮夜無知」、つまり「知る者無し」を利するということがあらゆる悪の根っこである。その欺く心は、人のもっとも大きな罪である。

別に欺いたからといって、すぐに災いが降り掛かるわけでも、それこそ生きている間に害を被ることはないかもしれない。しかし、「暮夜無知」の心は結局のところ、百悪の総根となるだろうと個人的には思いますし、それが歴史の智慧であろうと思います。

 

知る者がいないとどうして言えようか

どんな密事も、天が知り、地が知り、当事者が知っている。せっかくなので、「四知」の逸話の全体をご紹介できればと思います。

 

後漢安帝の永初4年、楊震は東莱郡の太守(地方長官)に任命され、赴任する途中で、昌邑という街で一泊することにした。偶然にも、過去に自分が推挙した王密という男が昌邑の県令を務めており、その王密が夜中に訪ねてくる。

何かと思えば、懐から金十斤を取り出して、楊震に贈ろうとする。王密としては、以前に自分を推挙してくれた御礼のつもりである。しかし、楊震はそれを受け取らず、

 

「故人は君を知る。君は故人を知らざるは何ぞや。」

 

と言う。「故人」は古い馴染みという意味で、つまり「君の古い馴染みである私は、君の人物を知り、認めて推挙をした。しかし、君が私という人物を知らないとはどういうことか」と。

しかし、王密は態度を変えず、「暗い夜のことなので、誰も知る者はおりません」と、軽い調子で金を進める。そこで楊震は、

 

「天知る、地知る、我知る、子知る。何をか知る者無しと謂わんや。」

 

と返す。天が知っているし、地が知っている。私が知っているし、あなたも知っている。それなのに、どうして誰も知る者がいないなどと言えるのか。

それを聞いた王密は、そこでようやくハッとして顔色を変え、愧じて立ち去る。

これを誰が見て、広めたのかはわかりませんが、その目はやはり「天地」ということだろうと思います。「四知」の逸話は宮城谷昌光の『三国志』の冒頭で紹介されています。ご興味のある方は、手に取ってみてください。

 

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瑞月
四国の香川県出身。細々としか続けておりませんが、合気道と剣術を少々しております。漢学教室で学習した内容の発信も行っています。

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