祈らずとても神や守らん

心だに  誠の道にかなひなば  祈らずとても神や守らん

(菅原道真)

忠信として名高く、現代では学問の神として親しまれる菅原道真の歌です。明治天皇の御製にも、「ならびゆく  人にはよしや遅るとも  正しき道を踏みなたがへそ」、また「いかならむ  時にあふとも人はみな  まことの道をふめとをしえよ」とあり、誠・真実の生活こそ、人の基本だと感じます。

 

誠は天の道、誠を思うは人の道

『中庸』、及び『孟子』には、

誠者天之道也、誠之者人之道也、

誠は天の道なり、誠を思うは人の道なり

とあります。

 

「誠」とは何かというと、天(太陽や月)の運行のように真実で偽りのないもの。自然には偽りはありません。ただ、それ自身として進む。『易経』の乾の卦には「天行健なり」とありますが、そうありたいと願うのが人の道である。

 

フランスの哲学者にして小説家・劇作家のジャン・ポール・サルトルの戯曲『汚れた手』には、

嘘とは、私がつくったものではなく、階級に分かれた社会に生まれたものである。だから、私は生まれながらに嘘を相続している。

ありますが、自然に生きること、なるべく偽りなく生きることは人間が本来持っている欲求だと思います。ただ、社会の発達はどうしても人を機械的・機能的にしてしまう。そうすると、偽りは避けられず、気づかぬうちに不安に囚われる。

 

以前に「気の帥たる志を養う」という記事を書きましたが、たとえ偽りが人生に必要だとしても、まずは「自己の内面的欲求」、「本性」を自覚することが重要だと感じます。

 

偽りは不自然であり、不自然は不安を招く

「誠を思うが人の道」。これは間違いなくひとつの美徳であると思っているのですが、一方で「偽り」という徳性(自然にある性質)を我々が有しているのも事実だと思います。

 

明智光秀の語録には、

仏の嘘をば方便といひ、武士の嘘をば武略といふ。これをみれば、土民百姓は可愛いことなり。

という言葉が遺されています。まさに社会に生まれたものが「偽り」と感じさせます。

 

必要な嘘はある。嘘によるほかは語られない真実もある。ただ、やはり偽り・嘘は少ない方が良いと個人的には思います。

偽りをずっと押しとおそうと思う人は、記憶がよくなければならない。(グリム  『詩的な散歩』)

嘘つきの名人でないならば、真実を語るがつねに最良策である。(ジェローム  『怠け者の能なしの考え』)

嘘つきの受ける罰は、人が信じてくれないというだけのことではなく、他の誰をも信じられなくなるということである。(バーナード・ショウ  『断片』)

誰かが嘘をついてると疑うなら、信じたふりをするがよい。そうすると彼は大胆になり、もっとひどい嘘をついて正体を暴露する。(ショウペンハウエル  『パレルガとパラリポーメナ』)

「偽り」は自然でないがゆえ、長く続けることは困難で、結局は不安を増大させるのだろうと思います。

 

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