蔵脩息游 – 『礼記』が説く学問の在り方

君子之於学也、蔵焉脩焉、息焉游焉、

君子の学に於けるや、焉(これ)を蔵し、焉を脩し、焉に息し、焉に游ぶ。

(礼記  学記第十八)

儒学における五経の1つ、『礼記』の「学記」で説かれる学問の在り方である「蔵脩息游」、いわゆる「四焉」です。

学問に限らず、物事に通じようと思えば、問題とするところを自らの中に蔵し、これを脩(修)め、息をするように自然に行い、優游自適に探求を行えるようにすべきと教えます。

 

息 – 気息に心があらわれる

武道だけでなくあらゆる芸事、修養において、息・呼吸というものは非常に重視されます。白川静の『字統』には、

自と心とに従う。自は鼻の象形文字。これに心を加えて、心の状態が気息にあらわれる意である。

(白川静  『字統』より抜粋)

とあり、『荘子』には「真人の息するや踵を以てし、衆人の息するや喉を以てす」とあります。息が深いということは、それだけ心が深いということであり、逆に息が浅い・すぐに喘ぐというのは、それだけ心に落ち着きがない。

 

人間の肺というのは、普通に息をしていてもすべての空気が外に排出されるわけではなく、かなり古い空気が残っているそうです。そこで、呼吸法においてはまず吐く。ゆっくりと、肺の中の澱んだ空気を吐き出すことで初めて、新鮮な気を取り込むことができる。

実際、呼吸が浅くなっているときというのは息が詰まります。「焉に息す」と言うと単純なようですが、なかなかに深い修練があると感じます。

 

游 – 自在に行動し、移動する

白川静の「遊字論」は「遊ぶものは神である。神のみが、遊ぶことができた」と始まり、「遊」は白川静が非常に好んだ文字として知られます。

『説文解字』には「游」の字が収められており、「旌旗の流なり」とされます。氏族の旗をなびかせて行くことは、氏族の霊と共に旅をすることであり、「遊びは神人合一の世界」であるというのが白川静の考え方です。

 

道を行くときが「遊」、流れを行くときが「游」ですが、

すべて自在に行動し、移動するものを遊といい、もと神霊の遊行に関して用いた語である。(中略)うかれ・遊びは、すべて人間的なものを超える状態をいう語であった。また「あそぶ」という語も、神遊びが原義であり、「あそばす」という敬語もそこから生まれる。

(白川静  『字統』より抜粋)

と『字統』にはあります。「遊(游)」は神とともにある状態であり、自在を得ることである。

知識・技術に翻弄されるのでは、あまり面白くありません。学問もそう在りたいと思います。

 

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