知に処すること難きなり

非知之難也、処知則難也、

知の難きに非ざるなり、知に処すること則ち難きなり。

(韓非子  説難編  四)

『韓非子』の説難編は、権力者に進言するその説き方の難しさを述べた編で、李斯の讒言によって不遇の死を遂げた韓非子の実感を感じさせる編です。

 

韓非子は中国の戦国時代の人で、秦の始皇帝に自説を説いたと言われますが、春秋・戦国時代はまさに外交・謀略の時代です。

『韓非子』の中には、春秋時代の秦の「繞朝(じょうちょう)の言」の逸話が採られています。

繞朝(じょうちょう)の言は当たれるも、その晋に聖人とせられて秦に戮(りく)せらるや、此れ察せざるべからず。

繞朝という秦の臣下が晋の謀略を見破って秦君(春秋時代は基本的に「王」は周王のみであり、各国の君主は「王」を名乗っていなかったため、「秦王」ではなく「秦君」とされる)に進言し、まさにその言葉は当たっていたが、秦君はそれを用いませんでした。

晋の国では謀略を見破った繞朝を警戒し、晋の国内で「繞朝は(未来を見抜く)聖人である」と喧伝しつつ、秦の繞朝のところに工作員を送り込みます。工作員は、いかにも繞朝が晋と通じているように振る舞い、繞朝は晋との内通を怪しまれて誅殺(処刑)されてしまう。

 

同様に、鄭の武公は胡という国を伐ちたいと思っていたが、まずは胡に自分の娘を嫁がせた後、臣下に「どこを伐つのがよいか」と謀ります。

ある臣下は武公の内心を知っており、「胡がよろしい」と答えますが、武公に「親戚の国を伐てとは何事か」と激昂して見せて、その臣下を処刑します。このやり取りを聞いた胡の君主は安心して、鄭への警戒を解きますが、鄭の武公はその無防備を攻めて、胡を滅ぼします。

 

このような逸話が繰り返し述べられ、君主を説き、導くのがいかに困難か。臣下の立場から見ると、知を以て身を処することがいかに困難かが説かれています。

 

権力者が好んでいる者を褒めれば「取り入ろうとしている、浅はかなやつである」と蔑まれ、好んでいる人を批判すれば「体制を壊そうとする不穏分子だ」とされます。

まっすぐ簡略に述べると「知識や考えが浅い」として意見を退けられ、丁寧に説明すると「冗長・緩慢な思考しかできない」と退けられる。

 

そこで、「知ることが難しいのではなく、知ったことを以て適切に処置を行うことが難しいのだ」という哲学が生じます。

 

『韓非子』の中では、どちらかというと権謀術数の一つとして、「知に処すること」が述べられていますが、個人の修養においても、「知ることに意味があるのではなく、その知を以ていかに処するかが重要」ということが言えます。

以前にご紹介した、「尽く書を信ずれば」なども、知の本質は知識ではなく知恵、ひいては徳恵であることを教えます。

 

文は事を処する才、武は敵を料る智

大学時代に体術・剣術を教えていただいていた先生に送っていただいた言葉ですが、まさにその通りだと感じます。

 

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瑞月
四国の香川県出身。細々としか続けておりませんが、合気道と剣術を少々しております。漢学教室で学習した内容の発信も行っています。

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