百里を行く者は九十に半ばす

行百里者、半九十、此言末路之難、

百里を行く者は、九十に半ばす。此れ末路の難きを言うなり。

(戦国策  秦策)

『戦国策』は、戦国時代の西周、東周、秦、斉、楚、趙、魏、韓、燕、宋、衛、中山の十二国の歴史を国別に綴った書物で、当時の歴史を伝える書物としても貴重な本とされます。

内容は、漢の劉向(りゅうきょう)が各国の国策、献策、遊説家の言説といった逸話をまとめたもので、『春秋』で記録される春秋時代の後の中国の世界・政治を垣間みることができます。

 

覇者の時代と言われ、まだ君主を中心とした国体が強かった春秋時代に対して、戦国時代は「戦国四君」(孟嘗君、平原君、信陵君、春申君)で代表されるように、必ずしも国家に縛られない傑人が国をまたいで活躍した時代です。

戦国時代といっても、巨額の軍資金を消費する戦争に明け暮れ続けることができるわけではなく、そこに外交が生まれ、諸子百家と呼ばれる遊説家や国をまたいで活動する政治家たちの知恵がきらめきます。

 

異能の者を囲い、養う「食客」も流行し、孟嘗君や平原君が囲っていた食客は3000人を越したとも言われています。

有名な「鶏鳴狗盗」(鶏の鳴きまねのうまい客と盗みがうまい客が活躍し、孟嘗君を秦の国から脱出させるエピソード)でも、食客の姿を確認することができます。

 

そのような時代の中で、各国が巡らせた策略・知恵が記録されているのが『戦国策』というわけです。

 

ここでご紹介した一節も、そうした時代背景の下で見てみると、実感のこもった貴重な知恵であると感じます。

中国には、日本とはまったく異なる、非常に複雑な政治上の駆け引きが存在すると感じます。二重、三重のスパイも多く、誰が何のために、何を言っているのか/しているのかを完全に把握するのは極めて困難です。

 

何かをなす場合にも、そこには多くの思惑が絡み、完成を妨げる活動が国を連合させることもあります。そんな中で天下を統一するという偉業をなそうと思うと、まさに「九十にして半(なか)ばす」という心境で臨まないことには、百里には達しない。

 

そもそも、個人の活動や成長についても、『荀子』が説くように「百発も一を失すれば、善射と謂ふに足らず」というのが真理だと思っています。

もちろん、「蹞歩を積まずば、もって千里に至るなし。功は舎めざるにあり」であり、一歩ずつを重ねることが達成への唯一の道ですが、やはり「末路」(最後)が一番難しい。九十里はまだ半分であり、それまで歩んだ九十里をもう一度歩き抜く覚悟で臨まなければ、完成に達することはない。

 

私はいわゆる「成功」への関心がそれほど高くないのですが、生きるということは何かに達する途中であると考えています。人生の最期に何かに達する、そのように人生に歩みたいものだと思います。

 

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