功遂身退、天之道、
功遂げて身退くは、天の道なり。
(老子 上編 第九章)
『老子』の処世術は、まだまだ先にあると感じさせられる一節です。
何度か書いているように、私は『老子』の処世術を「徹底的な作為の先にある無作為」だと思っています。もがき続けて、本当に自分の存在を見極めたときにはじめて、『老子』の言う「無為自然」があると思っています。
ただ、一方で「限界」を定めないことが重要だとも思っていて、その想いを「功遂げて身退く」という言葉はうまく捉えてくれていると感じます。
『老子』は実は徹底的な努力を前提に置いていて、だからこそ「無為」であることの重要性が出てくるのだと理解しています。そして、「功遂げた」後、また努力して「道」に近づくことが大切なのだと思います。
私の場合は、「功遂げて」にまだ全く達していないため、とてもつもなく先にあると感じます。