和を知るを常と曰う

知和曰常、知常曰明、

和を知るを常と曰う。常を知るを明と曰う。

(老子 下編 第五十五章)

『老子』の言葉は、短期で見ると必ずしも正しくないことがあるため、信じきるのが難しい類いのものが多いように思います。

 

上記の一節に続き、「物壮んなれば則ち老ゆ。之を不道と謂う。不道は早く已む。」とありますが、ここでいう「早く」とは一代ではないこともあるという次元の話だと思います。

 

私は『老子』を、どちらかというと政治学、戦略学と捉えていますが、実践するにはやはり一線を越える経験が必要だと感じます。「和が常、常が明」と頭では分かっていても、それを実践できるレベルまで落とすには、かなりの想いと術が必要だと思います。

 

調和の状態を知ることで、その調和を乱す法も理解できる。ただし、それを本当に知るためには調和のない混沌を経験することが必要ではないかと思うのです。

 

「和を知るを常という」と、肚から言えるようになりたいものです。

 

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