聖人は仁あらず

天地不仁、聖人不仁、虚而不屈、動而愈出、

天地は仁あらず、聖人は仁あらず。虚しくして屈きず、動かせば、愈いよ出だす。

(老子 上編 第五章)

私はこの章の意味をまだあまり分からないのですが、「聖人は仁あらず」という一節に惹かれ、ご紹介できればと思います。

 

「仁」は孔子を祖とする儒学においては最上位に位置する概念です。この一節は儒学に対する批判と解することもできますが、「仁なし」というのはもう少し深い意味があると考えています。

 

合気道にも似たような感覚がありますが、人の作為(攻撃)には必ず方向が発生します。その方向は、もちろん生きていく上でも成功する上でも必要なものなのですが、強みであり、弱みでもあります。

 

「仁」(優しさ)はある意味で心の作用であり、誰かに優しいことは、誰かには優しくないということを意味します。だからこそ、天下を取るためには「優しさ」を持たない「優しさ」が必要ということではないかと考えています。

 

合気道の場合、相手の力を感じることが非常に重要になると思っているのですが、それは戦いに限らず、政治でも同じということでしょうか?感覚的には、一国を治める(あるいは獲る)にはやはり「仁」が必要ですが、天下を取るには「仁」では足りないのではないかと感じます。

 

ここで引用した文は一部中略がありますので、良ければ『老子』の全文をご覧になってみていただければと思います。

 

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