罪は欲多きより大なるは莫し

罪莫大於多欲、禍莫大於知足、咎莫大於欲得、故知足之足、常足矣、

罪は欲多きより大なるは莫く、禍は足るを知らざるより大なるは莫く、咎は得んことを欲するより大なるは莫し。故に足ることを知るの足るは、常に足れり。

(老子  下編  第四十六章)

執する者は之を失う」や「足ることを知れば」と同様、『老子』の哲学を端的に表している一節です。

 

『老子』は「無為自然」という思想からも分かるように、個人が生きる上でも組織を運営する上でも、「有為」の上位に「無為」を置きます。人の幸せは欲望と現実との差によって決まるという側面があるため、ここで述べられているように、

  • 大きすぎる欲は持たない
  • 満足することを知る
  • みだりに物や権力を欲しがらない

という振る舞い、満足するということを十分に知っているということは、集団の中で生きる個人が幸せを感じる上では非常に重要だと感じます。

 

3点目の「みだりに物や権力を欲しがらない」については、物や権力は必ず有限なものであり、それを欲しがることは他人から奪うことが前提となっている社会の仕組みをよく表現していると感じます。

つまり、人が何かを欲しがるということは必ず何かを奪うということで、本来的には欲するという感情自体に怨みや咎が生じるということだと思います。

 

『老子』が面白いと感じるのは「嗇に若くは莫し」のように、組織の在り方についても無為を理想としている点です。

 

私自身は迷うことが多いのですが、組織は成長・拡大・勝利の欲望を持つことで幸福になるという側面もあります。特に欧米式の資本主義では、それが1つの方法論として語られることもあります。

例えば、20世紀最高の経営者の1人ともいわれるジャック・ウェルチが述べるように、「選別」が幸福を高めるという哲学です。

 

「選別」は、資本主義というルールの上で戦うゲームにおいて、確かに勝利(幸福)の確率を高め、また生産性も高めると感じます。資本主義という前提を置いた上では、非常に有効な方法論であると感じます。

 

「自分」が「現代」に生きる上では、それで良いのかもしれないと思うことがあります。ただ、ここからは私の個人的な志向ですが、それでもやはり東洋的な「嗇に若くは莫し」の方が天地が広く、調和的で美しいと感じます。

 

役に立つか立たないかとは別の次元で、時間や枠を超えた宇宙を見るとき、やはり自分自身が美しいと感じる生き方を理想としたいものだと思います。

 

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