四十にして悪まるるは

年四十而見悪焉、其終也已、

年四十にして悪まるるは、其れ終わらんのみ。

(論語  陽貨第十七  二十六)

非常に手厳しく、心身が引き締まる言葉です。

 

ここで言う「悪む」は単純に「憎む」ということではなく、「嫌悪」つまり「忌み嫌う/近くにいたくないと思われる」という意味に取るのが適当そうです。ちなみに、「悪」という字の上部「亜」は地下の墓室の形を示しており、生者にとっては居ずらい場所であることから、居心地の悪い場所を忌み慎む感情が「悪」の原義と言われています。

 

要するに、四十歳にもなって人格の成熟の兆しが見えず、人から「あれは駄目だね」と言われて、人に慕われることがない。そんな人間はもう終りだと教えていることになります。これはとても耳が痛い言葉です。

 

また『論語』の「子罕第九」には、次のような言葉が見られます。

後生畏るべし。焉ぞ来者の今に如かざるを知らんや。四十五十にして聞こゆることなくんば、斯れ亦畏るるに足らざるのみ。

(論語  子罕第九  二十二)

後から来るもの、つまり若者は畏敬すべき存在で、今いる者を追い越していくものである。ただし、四十歳や五十歳になっても目に留まるところがないような者は畏敬するに足らない。

四十五十までの人生でいうと、今まで生きてきただけの長さもない。そんな私にとって、たゆまずに自身を高めることの大切さと必要性を教えてくれる一節です。

 

西田幾多郎の弟子であり、昭和を代表する大教育家である森信三は、修養のためには偉人の伝記を読むことが大切と説いていますが、人が伝記を読まなくてはならない時期が三つあると教えています。

  • 第一は十二、三歳から十七、八歳前後にかけてで、立志のために
  • 第二は三十四、五歳から四十歳前後にかけてで、発願のために
  • 第三は六十歳前後で、一生の締めくくりをいかにすべきかを学ぶために

深い自覚を持って、自らを高めていかなくてはと思います。

 

森信三一日一語
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