久しうして之を敬す – 晏平仲嬰の交際

晏平仲、善與交人、久而敬之、

晏平仲は人と善く交わり、久しうして之を敬す。

(論語  公冶長第五  十六)

晏平仲嬰(嬰が名、平仲が字)は中国の春秋時代に斉という国で宰相を務めた人です。名相として名高く、司馬遷の『史記』では、同じく斉の名相である管仲とともに「管晏列伝」で紹介されており、司馬遷が「御者になりたい」とまで評しています。

宮城谷昌光の小説、『晏子』でも採りあげられていますが、質素倹約で有名で、「三十年一狐裘」(宰相として豊かな身であるにも関わらず、1つの狐裘を30年使い続けた)といった故事も残っています。

 

君子の交わりは淡くして水の如し

人というものは、長く付き合うことは難しい。いろいろな経験をともにすると、お互いの様々な面が見えてきて、「敬」を失ってしまいがちです。「久しく敬す」には、よほど「人」というものを知っておかなくてはいけない。

また、狎れてしまうのもよくない。狎れるとどうしても、緊張を失います。他者を他者として尊重し続けるということは、自分が好きではなかなか出来ないとも感じます。

 

他者を久しく敬し、善く人と交わることは、それだけで君子と言えるだろうと思います。決して偏愛をせず、他者の善だけでなく悪も愛し、自らを愛することなく、他者を尊敬して学ぶ気持ちを忘れない。

 

あるいはシンプルに、「君子の交わりは淡くして水の如く、小人の交わりは濃くして甘酒の如し」。元々は『荘子』の言葉ですが、吉田松陰の『講孟箚記』にも採られています。

東洋では感情が過ぎること、感情を尽くすことは処世ではまずく、程の良さ、中正を愛します。人との付き合いは濃くてはだめで、淡く、さらさらと水のようであった方が良い。

 

「淡く」とは決して、情が薄いことではなく、不自然なこだわりを持たないということだと思います。

 

艱難は共にできても、富貴は共にできない

高杉晋作は、長州において佐幕派の打倒に成功した後、

艱難ヲトモニスベク、富貴ヲトモニスベカラズ

と言ったといわれます。ある偏った感情は、人を純粋にする。艱難に対抗する感情には、そういう力があります。ただし、人はいつまでも強い感情を持ち続けることはできない。

愛情にしても、怨みにしても、憤りにしても長続きはせず、特に目的が達成された後に弛緩することは、呉越を滅亡させた「臥薪嘗胆」という故事を見ても、古来から変わらぬ法則だと感じます。

 

もちろん、志を持つことは非常に大切なことです。しかし、人はあくまで中正でなくてはならない。むしろ、それが真に志を持つことだろうと思います。

 

『論語』には、

可與共学、未可與適道、可與適道、未可與立、可與立、未可與権、

与(とも)に共に学ぶべし。未だ与に道に適(ゆ)くべからず。与に道に適くべし。未だ与に立つべからず。与に立つべし。未だ与に権(はか)るべからず。

(論語  子罕第九  二十九)

とあります。ともに学ぶこと、ともに道を進もうとすること、ともに志を以て立つことはまだ出来る。しかし、権るとなると、絶対に迷いが生じる。人はここにおいて、中正を失いやすい。

道を進んだり、その道を守ろうと心に決めることにも、もちろん迷いが生じますが、権ることは本質的に迷うことであり、迷いを断つことです。これがともにできる人は滅多にいないということだろうと思います。

 

人は他者と衝突すること、他者を嫌うことを潜在的に避けようとします。逆に見ると、気持ちよく迷いを断ち切り、久しく敬することが出来ると感じる人に、人は魅力を感じるのかもしれません。

 

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