志士仁人 – 生を求めて仁を害さず

志士仁人、無求生以害仁、有殺身以成仁、

志士仁人は生を求めて以て仁を害することなし。身を殺して以て仁を成すことあり。

(論語  衛霊公第十五  八)

志士であるだけでは人を惑わせることがあり、真の志士はやはり仁人でなければならない。一方で優しいだけで理想を持たなくては、何事をも為すことはできない。『論語』に「志士仁人」と重ねていうことは、非常に意味のある教えです。

 

レベル感はあると思いますが、「理想(志)」を持つことは「人情を解した、真の思いやり(仁)」を持つことに比べれば、比較的に容易だろうと思います。世の政治家・経営者はことごとく志を語りますし、子供は大きな夢を持つようにと教えられます。

世に「ブラック企業」と言われる会社の経営者も、社員のそしりを受ける企業のトップも皆、それぞれの想いを持って生きているに過ぎないのだと思います。

 

日々生きることに悩みがあることは当然ですし、まして変革を試みれば破壊があり、苦しみがあることは必然です。その苦しみを忍ぶことができるか、また、周りの人々に忍ばせることができるかが、志士と仁人の違いだと思います。

安岡正篤の言にある、

人は徳に感ずる。情によって活きる。情の前にはいかなる苦労も忘れ、徳のためには死をも辞せぬものである。指導者は民衆のよくわからぬような理屈をこね廻したり、口角泡をとばして罵り騒ぐより、まずよく人情を解せねばならぬ。(中略)

真の志士は、やはり仁人でなければならぬ。同士を一人でも多く「獲得」などしようとせず、むしろあくまで少くしようとした大石内蔵助は、智者であるとともに仁人であった。それでこそあの志業を達成することも出来た。独り自ら韓に使せんとした志士西郷隆盛も仁人であった。

(安岡正篤  『経世瑣言  続編』より抜粋)

とは、非常に感じるところがあります。

 

決死行を強いるばかりで、その人に家族・生活があることを慮らないでは、誰も心から従うことはない。むしろ、理想を持ち、「千万人といえども我ゆかん」という気概を持ちつつ、同士の生活を慮り、あえて独りで往こうとする。打算ではなく、その心性が人を動かし、志を達成させることがある。

 

「志」と「仁」と、ときに矛盾する感情を融合させるところに人としての修養があり、人格の錬磨があると感じます。

 

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