守拙 – 拙を以て進み、拙を以て成る

文以拙進、道以拙成、一拙字有無限意味、

文は拙を以て進み、道は拙を以て成る。拙の一字、無限の意味あり。

(菜根譚  後集  九十三)

「拙」は「功ならざるなり」、つまり不器用の意とされますが、器用を以て生きないことは東洋では尊しとされます。守拙、拙修、拙誠、養拙などは高尚な生活態度を象徴する語であり、芸術の分野においても重要な理念の1つとされます。
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暮夜の無知、楊震の四知

密曰、暮夜無知者、震曰、天知、地知、我知、子知、何謂無知者、密愧而出、

密曰く、「暮夜なれば知る者無し」と。震曰く、「天知る、地知る、我知る、子知る。何をか知る者無しと謂わんや」。密、愧じて出づ。

(資治通鑑  漢紀)

宮城谷昌光の小説、『三国志』にも採られた「楊震の四知」です。暮夜に紛れて、知る人もいないからと賄賂を差し出す王密に対して、「天と地と、我と子(なんじ)が知っている」と楊震が返す。実に爽やかで、鋭い切り返しだと感じます。
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教育の方法 – 褒めるべきか、叱るべきか

教育を次のように定義した人の機知は、けっして誤ってはいなかったのです。すなわち、「教育とは、学校で習ったことをすべて忘れた後に残っているところのものである」と。

(アインシュタイン  「教育について」より抜粋)

「教育について」はアインシュタインが1936年に発表した文章で、『晩年の想う』の第1部に収められています。自身の学生、教師としての体験を基にした主張と断った上で書かれていますが、「教育」というものについて、非常に核心的な文章だと感じます。
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三世因果 – 影の形に随ふが如し

善悪之報、如影随形、三世因果、循環不失、

善悪の報、影の形に随ふが如し。三世の因果、循環して失はず。

(涅槃経  憍陳如品)

『涅槃経』には、死期を迎えた釈迦(仏陀)の最後の旅から入滅に至るまでの言行と、その後の火葬・遺骨分配の様子が記されています。『涅槃経』は悟りを得た釈迦の、ある意味ではもっとも成熟した教えを垣間みることができる書と言えるかもしれません。
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学の四失 – 多・寡・易・止

学者有四失、教者必知之、人之学也、或失則多、或失則寡、或失則易、或失則止、

学ぶ者に四失あり。教ふる者、必ずこれを知る。人の学ぶや、或いは多きに失なひ、或いは少なきに失なひ、或いは易きに失なひ、或いは止まるに失なふ。

(礼記  学記第十八)

古来、学の在り方について述べた言葉は無限にありますが、『礼記』の「学記篇」もその1つであり、学ぶということに対する古代中国の人々の智慧をよく教えてくれます。
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『日本語のために』 – 言葉と思考・情緒

たしかヴァレリーは精神的人間を「言葉の動物」と形容した。人間をまるごととらへたうまい言ひ方で、納得がゆく。

ところでどんな語学の天才でも母語は別格なはずで、とすればわれわれは日本語の動物か。

その母語が日いちにちと厄介なものになつてゆく過程のなかで、われわれはいよいよこの言語をきつく意識する。さういふ状況を見渡したり、見直したり、考へ直したりすることで、わたしはわれわれがすぐれた精神的人間、優秀な言葉の動物になる手だてを探らうとした。

(丸谷才一  『日本語のために』まえがきより抜粋)

森鴎外は『春秋左氏伝』によって文体を獲得し、その語彙は40万語に及んだといわれます。思考は言葉によって規定されると一応理解すると、記憶が宿りやすい「漢字」と、独自の発展を遂げた「仮名」を持つ日本人は豊かな思考を持ちうる。

ある意味ではそれゆえに、東洋は西洋より「沈黙」を美徳とする。言葉とは、非常に面白い問題です。
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憂患に生き、安楽に死す

入則無法家拂士、出則無敵國外患者、國恒亡、然後知生於憂患、而死於安樂也、

入りては則ち法家拂士なく、出でては則ち敵国外患なき者は、国恒に亡ぶ。然る後に憂患に生き、安楽に死するを知るなり。

(孟子  告子下  十五)

小康に慣れて安楽をむさぼる時が実はもっとも危険であり、法家拂士(ほうかひっし、代々の法を守り、道を枉げない輔弼の士)がおらず、敵国外患もない者は必ず亡ぶ。

人は安楽を願いますが、安楽に生きることは難しく、安楽に死ぬことはさらに難しいと思います。憂患に生きてこそ、安楽に死ぬことができる。孟子の実感がこもった、力を感じる言葉です。
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思則得之 – 思えば則ち之を得る

耳目之官、不思而蔽於物、物交物則引之而已矣、心之官則思、思則得之、不思則不得也、

耳目の官は思わずして物に蔽(おお)わる。物、物に交われば、之を引きゆくのみ。心の官は則ち思う。思えば則ち之を得る。思わざれば則ち得ず。

(孟子  告子上  十五)

孟子の「性善説」によれば、人はひとしく善なる本性を持っている。それにも関わらず、大人・小人の区別ができるのはなぜかという弟子の問いに対する孟子の言葉です。
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「おもう」 – 思、想、惟、憶、慮、念

【思】正字は囟(し)に従い、囟声。囟は脳蓋の形。その中は人の思惟するはたらきをする脳のあるところ。

(白川静  『字統』より抜粋)

現代の日本では主に「思」、「想」の2字が「おもう」という意味に使用されますが、「おもう」という行為は複雑なものであり、その作用は古来、様々な字を使い分けることによって表現されてきました。
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あはれといふもおろかなり – 白骨の御勧章

野外に送りて夜半(よわ)の煙となし果てぬれば、ただ白骨のみぞ残れり。あはれといふも、なかなかおろかなり。

(蓮如上人  御文  「白骨」より抜粋)

浄土真宗本願寺八世の蓮如上人が、布教の一貫で全国の門徒へ手紙として発信した法語が「御文」です。宗派によって「御文章」(本願寺派)、「御文」(大谷派)、「御勧章」(興正派)と呼び名は異なりますが、中でも「白骨」の法語は特に有名とされます。
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養生の道は恃むを戒しむ

養生の道は恃むを戒しむ。わが身のつよきを恃み、若きを恃み、病の少いゆるを恃む。是みな、わざはひの本也。

(養生訓  巻第二  七)

『養生訓』は江戸時代の儒学者、貝原益軒が著した健康・長寿を保つための心構えや具体的な生活・食事法に関する書です。もちろん、内容が古い点もありますが、現代においても非常に示唆に富む書です。
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小人は財に殉じ、君子は名に殉ず

小人殉財、君子殉名、其所以変其情、易其性、則異矣、乃至於棄其所為、而殉其所不為、則一也、

小人は財に殉じ、君子は名に殉ず。其れ其の情を変じて其の性を易(か)うる所以(ゆえん)は則ち異なれり。

乃(され)ど其の為すべきを棄てて、其の為さざるべきに殉じるに至りては、則ち一なり。

(荘子  盗跖篇第二十九  二)

『荘子』の「盗跖篇」には孔子と盗跖(大泥棒)、子張(孔子の弟子)と満苟得、無足と知和の3つの対話が収められており、ここでご紹介した一節は子張と満苟得との対話の中に登場するものです。
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学は通の為に非ざるなり

君子之学、非為通也、為窮而不困、憂而意不衰也、知禍福終始而心不惑也、

君子の学は通の為に非ざるなり。窮して困しまず、憂ひて意衰えず、禍福終始を知りて惑わざるが為なり。

(荀子  宥坐編  八)

学問は名利栄達、立身出世といったもののためにあるのではなく、窮しても困(くる)しまず、憂いがあっても意(おもい)が衰えることなく、物事の禍福・終始をよく悟り、心の迷いを生じさせないようにするためにある。窮じて初めて、修養の真価が問われます。
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王 – 理想を現実に実現する者

【王】大きな鉞(まさかり)の刃部を下にしておく形。王位を示す儀器として玉座の前においた儀礼用の鉞で、その遺器と思われるものがある。

(白川静  『字統』より抜粋)

政治家がおり、軍事力があれば統治が成り立ち、生活が保てるのであれば、「王」は不要と考えることもできます。しかし、世界・社会を機能で分解するのは西洋的な思考で、やはり世界を統合する「王」がなくてはならないと私は思います。
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徳とは何か – 玄徳、明徳、陰徳

大学之道、在明明徳、

大学の道は明徳を明らかにするに在り。

(『大学』)

日本、東洋において人物・修養を考えるとき、「徳」という概念がしばしば登場し、「あの人は徳がある」、「不徳の致すところ」といった表現が自然に使われます。そして、それは特定の思想に限定されたものでなく、孔孟の儒教、老荘の道教、そして日本の神道、また武士道といったあらゆる思想・文化において現れます。

しかし、「徳とは何か」と問われるとよくわからない。おぼつかないながら、この「徳」という問題について少し論じてみたいと思います。
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象徴に感ずる – 三種の神器が伝える徳

何ごとの  おわしますかは知らねども  かたじけなさに涙こぼるる

(西行法師)

武士でありながら出家をし、仏道・歌道をおさめて松尾芭蕉にも影響を与えたといわれる西行法師が、伊勢神宮に詣でた際に詠った歌です。日本人の感性をよく表現した歌として有名ですが、この「象徴に感ずる」というのは、まさに日本人の感性だと感じます。
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祈らずとても神や守らん

心だに  誠の道にかなひなば  祈らずとても神や守らん

(菅原道真)

忠信として名高く、現代では学問の神として親しまれる菅原道真の歌です。明治天皇の御製にも、「ならびゆく  人にはよしや遅るとも  正しき道を踏みなたがへそ」、また「いかならむ  時にあふとも人はみな  まことの道をふめとをしえよ」とあり、誠・真実の生活こそ、人の基本だと感じます。
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蔵脩息游 – 『礼記』が説く学問の在り方

君子之於学也、蔵焉脩焉、息焉游焉、

君子の学に於けるや、焉(これ)を蔵し、焉を脩し、焉に息し、焉に游ぶ。

(礼記  学記第十八)

儒学における五経の1つ、『礼記』の「学記」で説かれる学問の在り方である「蔵脩息游」、いわゆる「四焉」です。

学問に限らず、物事に通じようと思えば、問題とするところを自らの中に蔵し、これを脩(修)め、息をするように自然に行い、優游自適に探求を行えるようにすべきと教えます。
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事上磨錬 – 事に当たって修養する

人須在事上磨錬、做功夫、乃有益、

人は須く事上に在って磨錬し、功夫をなす、すなわち益あり。

(伝習録  下)

『伝習録』は陽明学の祖である王陽明の言行を記録した書物です。「事上磨錬」は、現実に即した修養を旨とする王陽明の思想が端的に現れた言葉だと感じます。
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人間の一生 – 森信三の人生観・職業観

職業に上下もなければ貴賤もない。世のため人のために役立つことなら、何をしようと自由である。

しかしどうせやるなら覚悟を決めて十年やる。すると二十からでも三十までにはひと仕事できるものである。それから十年本気でやる。

すると四十までに頭をあげるものだが、それでいい気にならずにまた十年頑張る。すると、五十までには群をぬく。しかし五十の声をきいた時には、大抵のものが息をぬくが、それがいけない。「これからが仕上げだ」と、新しい気持ちでまた十年頑張る。すると六十ともなれば、もう相当に実を結ぶだろう。だが、月並の人間はこの辺で楽隠居がしたくなるが、それから十年頑張る。

すると、七十の祝は盛んにやってもらえるだろう。しかし、それからまた、十年頑張る。するとこのコースが一生で一番おもしろい。

(読み人知らず 「人間の一生」)

西田幾多郎、西晋一郎の教えを受けた在野の教育家、森信三の著書の中で「人間の一生」という題名で紹介されている一節です。森信三本人の言葉ではないそうですが、森信三の信念をよく表していると感じます。
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不変の上に築く – ジェフ・ベゾスの経営哲学

私はよく「5年後、10年後には何が変わっているだろうか?」と尋ねられる。しかし本当に重要な質問は「5年後、10年後にも何が変わっていないか?」だ。なぜなら、ビジネスの根本を長期にわたって不変な原則の上に建てることができるからだ。

今から5年、10年経ってユーザーが私のところに来て「ジェフ、値段をもっと高くしてくれないか」ということは想像できない。「配達を遅くしてくれ、品揃えを少なくしてくれ」などということもあり得ない。低料金、速い配送、幅広い品揃えは何十年経ってもユーザーが望むものだ。

(Amazon CEO ジェフ・ベゾス)

Amazon(アマゾン)のCEOであるジェフ・ベゾス氏がre:Inventという開発者向けカンファレンスで語った内容が、日経ビジネスオンラインで紹介されていました。ベゾス氏の哲学は非常に本質的で魅力的だと感じます。
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位無きを患へず、立つ所以を患ふ

不患無位、患所以立、不患己知、求為可知也、

位無きを患へず、立つ所以を患ふ。己を知るものなきを患へず、知らるべきを為すを求む。

(論語  里仁第四  十四)

学問にとどまらず、人格修養でさえ人に見せるため、地位を得るための手段と捉える風潮が強い現代に対する苦言とも感じる一節です。

地位がない、己を知るものがいないことを患えるのではなく、その地位に立ち、また、人に知ってもらえるだけの学問修養がないことを謙虚に患え、修養をすべきであることを教えます。
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甲午の意味 – 2014年迎春にあたり

「甲」はかいわれ、春になって樹の芽が冬中被っておった殻を破って出てきたすがた、つまり鱗芽が外に発現した象形文字であります。だから物事のはじめを意味し、はじまるとも読む。その芽がぐんとのびると申(伸・のびる)であります。またはじめという意味から、十分慎重にやらなければならぬので、つつしむという意味があり、新しく始めるところの法令・制度を意味する。

ところが新しく始まろうとする機運にはあるのだけれども、人間というものは、ともすれば旧来の陋習になれてしまって、改革・革新をやらず、因循姑息になり、すべてにだれてしまいがちであります。そこで甲は狎(なれる)に通じる。

「午」はどういうことを表すかというと、上の午は古代文字では「ノ一」と書き、これは地表を表しておる。十の一は陽気で、Ⅰは陰気が下から突き上げてまさに地表に出ようとする象形文字であります。だから「午は忤なり」でそむく、さからうという意味になるわけです。

(安岡正篤  『干支の活学』より抜粋)

2013年の癸巳(きし/みずのと・へび)は「万事筋道を立てて、因習を捨てて新たな活動を清々しく始めるべき年」でしたが、癸巳から発展した「甲午(こうご/きのえ・うま)」が2014年の干支です。
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同人 – 天上火下、天火同人(上卦 十三)

天火同人

社会生活において、最初は天澤履(礼に従い履み行う)、それによって地天泰(物事が通じる)、やがて天地否(塞がるときを迎える)と続き、いつまでも塞(否)がってはおられないので、の卦の次に同人が置かれるとされます。

否(ふさ)がった状況を打破するのは人と人との和であり、互いに手を携えていくことで運が拓けてくることを教えるのが、天火同人の卦です。
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決断は知恵の根源 – 稲葉稔先生の言葉

決断は知恵の根源です。人間、決断するからこそ、追い込まれても知恵が出てくるのです。

決断しないうちは生きた知恵は出てきません。損も得もないと、欲を去って決断することによって、行動ができるのです。それが剣太刀です。

(季刊『道』  稲葉稔先生のインタビューより)

現在は明治神宮武道場、至誠館の名誉師範となられた稲葉稔先生が、2008年春の季刊『道』で「時は命」というタイトルでインタビューを受けた際の言葉です。三種の神器の1つでもある剣は「剛理決断の徳」を伝えるという説もあります。
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