憂患に生き、安楽に死す

入則無法家拂士、出則無敵國外患者、國恒亡、然後知生於憂患、而死於安樂也、

入りては則ち法家拂士なく、出でては則ち敵国外患なき者は、国恒に亡ぶ。然る後に憂患に生き、安楽に死するを知るなり。

(孟子  告子下  十五)

小康に慣れて安楽をむさぼる時が実はもっとも危険であり、法家拂士(ほうかひっし、代々の法を守り、道を枉げない輔弼の士)がおらず、敵国外患もない者は必ず亡ぶ。

人は安楽を願いますが、安楽に生きることは難しく、安楽に死ぬことはさらに難しいと思います。憂患に生きてこそ、安楽に死ぬことができる。孟子の実感がこもった、力を感じる言葉です。

 

色に徴われ、声に発して道理を喩る

『論語』には「過ちて改めざるを過ちと謂う」とありますが、前提として、能く改めるにはやはり過ちが必要である。『孟子』では、

人恒過然後能改、困於心、衡於慮、而後作、徴於色 發於聲、而後喩、

人は恒に過ちて然る後に能く改む。心に困(くる)しみ、慮(おも)いに衡(はか)りて、しかる後に作(おこ)り、色に徴(あら)われ、声に発して、しかる後に喩る。

(孟子  告子下  十五)

と説きます。

 

人は自らの過失を改め、困しんで煩悶し、それが容貌や態度に表れるようになって初めて、道理を喩ることができる。『荀子』にも「君子の学ぶや、動静に形る」とあり、心身に布いてこそ学問であるという思想が見られます。

正しく生きようとすることはもちろん重要ですが、それだけでなく敵国外患、外の憂いを受け入れて、工夫をすることによって成長があろうと思います。

 

忌むべき小康、安楽

逆に言うと、憂患のない状態、安易で無思考な小康・安楽は忌むべきものだろうと感じます。何かを為そうとするならば、失敗がないということはなく、抵抗勢力も必ずある。そうであるにも関わらず、憂患から目を背け、小康をむさぼるのは亡びの入り口であり、むしろ「憂患の死」に至る道である。

 

『孟子』には、

天、将(まさ)に大任をこの人に降さんとするときは、必ず先ずその心志を苦しめ、その筋骨を労せしめ、その体膚を窮しみ餓えしめ、その身行を空乏(むなしく)させ、その為す所を払乱(ふつらん)せしむ。

とあり、大任を得る人物が苦難に遭遇することを説いています。個人も企業も国家も志を立てることによって苦難を得て、その苦難を工夫を以て克服し、日新、日々新たに生まれ変わってこそ発展があります。

人は「死」によって初めて、否応なく評価されるものだと思います。安楽の死に至るために、憂患の生を生きる。志あるがゆえに、安楽の生を受け入れられないとは、非常に強いメッセージを感じる教えです。

 

一方で、安楽に生き、安楽に死ぬことができる人がいれば、それは人生の達人であろうとも思います。

 

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