能わざるにあらざるなり

不為也、非不能也、

為さざるなり、能わざるにあらざるなり。

(孟子  梁恵王上  七)

梁恵王篇は、孟子が諸国を巡り、各国の王と交わした問答を集めた篇です。冒頭は以前にご紹介した「亦だ仁義あるのみ」が登場する、梁の恵王との対話から始まりますが、ここでご紹介したのは斉の宣王との対話です。

 

斉は周の建国を輔けた太公望によって建てられた国で、文化国家として有名です。ただし、斉の宣王は太公望(姜姓呂氏)の子孫ではなく、田氏(陳氏)が斉の君主の座を簒奪した後に立った王です。

田氏による斉ということで、「田斉」と呼ばれることもあります。

 

斉は田斉となった後も文化国家として栄え、宣王は学者が集まる稷下という場を作り、多くの賢人・異能の者を集めて、斉を戦国七雄の一国として繁栄させる礎を築いています。

つまり、宣王は君主としては能力が高く、名君といってもよい人物です。だからこそ、孟子は自らが信じる王道を体現する王の候補者として、宣王に持論を張ります。

 

斉は春秋時代に、春秋の五覇の筆頭に数えられる桓公を輩出したことから、中華に対して号令をかけたいという意望を強く持っており、「覇者であった斉の桓公、晋の文公のことを聞かせてほしい」と宣王が申し出るところから、問答は始まります。

 

儒者は武力で諸侯に号令する「覇者」を善しとせず、徳で天下を治める「王者」という概念を尊いものとするため、孟子は、

仲尼の徒には桓・文の事を道(い)ふ者なし。

と答え、王道を説く流れへと持っていきます。仲尼は孔子の字(あざな、成人男子に実名以外に付けられる名前で、通常、他人は字で呼ぶ)で、「仲尼の徒」とは「孔子一門の人間」という意味です。

 

この後、孟子が宣王の関心を惹いていく問答もなかなか興味深いのですが、とにかく、「王道」なんてものはどうすればよいのか、どうやれば出来るのか、やらないことと出来ないことはどう違うのか、といったやり取りの中で、

王の(まことの)王たらざるは、為さざるなり、能わざるにあらざるなり。

という、有名な一節が登場します。

 

つまり、王道、徳を積むということ、思いやりと真心で政治をするということは身近な日常の中にあり、それは出来ることであり、出来ていないとすれば、それはやっていないだけだ、というのが孟子の主張です。

 

現実的な問題としては、様々な闘争・競争があり、思いやりと真心だけで政治が推進されるわけではないと思います。ただ、日々を思いやりを持って過ごすことは、出来ないわけではありません。

もちろん、理想的な王道を体現できる人物もいるのだろうと思いますが、我々のような凡人に出来ることは身近な思いやりを持つこと。ただし、これであれば、我々にも出来るだろうと思います。

 

『論語』や『孟子』というと、とかく理想主義で高邁な思想で、役に立たないものと感じられる向きもありますが、それを身近な日常に近づけて捉えれば、ただ真心を持って生きるということだと思っています。

まさに「道は爾きに在り」です。そして、その道が『荀子』の説く「行かざれば至らず」に通ずる。そう信じて、古人の教えを忘れずに生きたいものだと思います。

 

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