道は爾きに在り

道在爾、而求諸遠、事在易、而求諸難、

道は爾きに在り、しかるにこれを遠きに求む。事は易きに在り、しかるにこれを難きに求む。

(孟子  離婁上  十一)

「道」は身近な日常に即した爾(ちか)きものである。修養をする上でとても大切な教えだと感じます。

 

とかく「道」と言うと高遠・高邁なものをイメージし、日常に即した修養に想いが至らず、思考を弄んでしまいがちですが、「道」が生きることである以上、それは日々の生活自体でしかないのだと思います。

 

『論語』においては「餘力あれば文を学ぶ」とされ、また、禅においては「墻外底(しょうげてい、道なら垣根の外にあるではないか)」や「平常心是道(平常の心こそが道である)」と言われることもあります。

 

禅における有名な問答としては、「仏とは何か?」という問いに対する答えも修養を捉える上で示唆を与えてくれます。

「仏?そいつならお堂の祭壇にいるぞ。」

或いは、

「そいつは粘土で出来ていて、金箔で覆われている。」

どの教えも、修養を概念の上ではなく、日常の上で捉えるべきことを教えてくれます。真実は観念を通して探すものではなく、生きた世界にのみ存在するということだと思います。

 

禅ではこれを「マインドフルネスに生きる」ということもあるようです。『趙州録』に見られるように、

「朝のお粥を食べたなら、お粥を食べた自分のお椀をよく洗っておきなさい。」

昨日と同じように今日があり、明日がある。それを受け入れた上で、禅の生活を実地に生きることが悟りへの入り口であることを教えているのだと思います。

 

ただし、ただ生きれば修養となり、道につながるわけではないことも真実です。それが禅においては「マインドフルネスに生きる」ことであり、『荀子』では「行かざれば至らず」として修身の重要性を説きます。

道は目の前にしかなく、それを一歩ずつ歩むしかないことを教えてくれる、大切にしたいと感じる教えです。

 

Be a life long student.
(人は生涯、学び続けなくてはならない)

学ぶことだけは、決して忘れずに生きていきたいものです。自戒を込めて。

 

禅への鍵
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