『日本語のために』 – 言葉と思考・情緒

たしかヴァレリーは精神的人間を「言葉の動物」と形容した。人間をまるごととらへたうまい言ひ方で、納得がゆく。

ところでどんな語学の天才でも母語は別格なはずで、とすればわれわれは日本語の動物か。

その母語が日いちにちと厄介なものになつてゆく過程のなかで、われわれはいよいよこの言語をきつく意識する。さういふ状況を見渡したり、見直したり、考へ直したりすることで、わたしはわれわれがすぐれた精神的人間、優秀な言葉の動物になる手だてを探らうとした。

(丸谷才一  『日本語のために』まえがきより抜粋)

森鴎外は『春秋左氏伝』によって文体を獲得し、その語彙は40万語に及んだといわれます。思考は言葉によって規定されると一応理解すると、記憶が宿りやすい「漢字」と、独自の発展を遂げた「仮名」を持つ日本人は豊かな思考を持ちうる。

ある意味ではそれゆえに、東洋は西洋より「沈黙」を美徳とする。言葉とは、非常に面白い問題です。

 

言葉の美しさを感知する – 詩の重要性

丸谷才一は「国語教科書批判」において、

国語教育における教材としての詩の重要性は、まづ何よりも、日本語がこれほど力強く、鋭く、匂やかで、豊かで、一言にして言へば美しい言語であることを、意識的、無意識的に感知させるという点にあらう。日本語の美しさについて、子供相手にながながと演説するなどは愚劣の極である。

(丸谷才一  『日本語のために』国語教科書批判より抜粋)

と主張しています。

 

言葉の豊かさの原点として、中国には『詩経』があり、日本には『万葉集』がある。孔子は「詩を学ばざれば以て言ふなし」と子の伯魚に説いていますが、それは単純に知識やレトリックのみでなく、人を解するための情緒を意識的、無意識的に感知させるための教えでもあるのだと思います。

 

例えば、人の機微がもっとも現れる「恋」という言葉は、『万葉集』では「狐悲」、「故非」と表記する例が多い。「狐(ひと)り悲しむ」、「故(もと)は非(しか)らず」という、眼前にないものを思い慕う感情の意識的な強調を感じます。

ちなみに、『詩経』には『万葉集』ほどの熱烈な相聞、いわゆる恋愛の詩はなく、『万葉集』は世界的に見ても、非常に豊かな感情を持った書物だろうと思います。

 

もの言へば  唇寒し  秋の風

言葉は思考や情緒を認識させ、豊かにする。一方で、その思考や情緒を外に発することは、また別の問題です。

「もの言へば  唇寒し  秋の風」は松尾芭蕉の歌ですが、こういう感覚が我々にはある。(この歌が「亡唇寒歯」という『春秋左氏伝』の故事を想起させ、多層性という漢字文化の魅力を感じさせるものであることもまた、とても面白い点です)

 

日本民俗学の祖ともいえる柳田國男は、

言葉さえあれば、人生のすべての用は足るという過信は行き渡り、人は一般に口達者になった。

(柳田國男  『涕泣史談』より抜粋)

と言い、また『老子』は八十一章から成る言葉を終えるにあたって、

信言不美、美言不信、

信言は美ならず、美言は信ならず。

(老子  下編  第八十一章)

信じるに足る言葉は美しくはあれず、美しい言葉は信じるに足らないと締めくくっています。非常に豊かな思考・情緒は複雑すぎて、心を込めて語ろうと思えば美しくはならず、美しく語ろうとすれば必ず嘘が生じる。

思考・情緒は言葉によって規定されざるを得ませんが、我々の思考・情緒はもっと深く、広いものを捉えている。それゆえに、「言葉さえあれば用は足る」ということにはならない。

 

それでも、なるべく真実を美しく語りたいと願って言葉を学び、一方で、言葉には必ず嘘が生じることを知っているため、沈黙を金とする。

「知る者は言わず、言うものは知らず」。ここに東洋思想のわかりにくさがあり、面白さがあると思います。

 

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