「おもう」 – 思、想、惟、憶、慮、念

【思】正字は囟(し)に従い、囟声。囟は脳蓋の形。その中は人の思惟するはたらきをする脳のあるところ。

(白川静  『字統』より抜粋)

現代の日本では主に「思」、「想」の2字が「おもう」という意味に使用されますが、「おもう」という行為は複雑なものであり、その作用は古来、様々な字を使い分けることによって表現されてきました。

 

思 – 脳による、深く思う作用

冒頭でご紹介したように「思」の上部の「囟」は脳を示し、下部の「心」は心臓を示す。つまり、「思」は人が持つ生物的機能としての「おもう」作用を表現した字と解することができます。

許慎の『説文解字』には「思は容なり」、つまり「思」とは受け入れる作用であるとありますが、中国・清の儒学者である恵棟は「容」と似た字である「ふかきなり」の誤りであろうとしており、「思惟」という熟語から考えても、人が深く思う行為が「思」ではないかと思います。

 

想 – こいねがい、形容を想う作用

純粋な機能として深く思う「思」に対して、「想」は、

【想】[説文]に「冀思するなり」とあり、その形容を想いうかべることをいう。その人を慕う意がある。(中略)もと形態に即したものであるが、のち想念・思想のように用いる。

(白川静  『字統』より抜粋)

とされます。「冀(き)」は「こいねがう」の意ですが、角形の頭飾りがついた鬼の形であり、実在ではなく畏敬の対象としての神に通ずる。

人は慕い、求めるとき、その姿を頭に描く(想像する、想見する)。その作用が「想」であり、発展して「思想」へとつながります。

 

惟 – ひろく惟う作用

『説文解字』に「惟は凡思なり」とあり、「思」が深く思うのに対し、「惟」は凡(ひろ)く惟う作用です。思惟(しい、仏教用語ではしゆい)とは深く、かつひろく考えることであり、哲学では感覚・知覚とは異なる知的精神作用を指します。

右側の旁(つくり)は「佳」であり、尾の短い鳥の形であることから、巡らすの意にも通じます。

 

憶 – 神意、心意を推測する作用

「憶」は現代では記憶・追憶・憶念などの熟語に使用されますが、『字統』では、

【憶】音符は意(おく)。意には音によって神意を臆度(おくたく)し推測する意がある。

(白川静  『字統』より抜粋)

とあります。「意」 は「音」と「心」から成り、「音」は「神の音なひ(訪れ)」を暗示するとされるので、「意」のみで「神意」に迫ろうとする作用を示しますが、さらに偏に「心」を重ねた字が「憶」です。

 

ただ、用法は時代によってあまり定まっておらず、至ることのできない深い意に至ろうとする作用くらいで捉えるとよいのかもしれません。

 

慮 – 難きを謀る作用

「慮」は「おもんばかる」と読むことからも推測されるように、

【慮】[説文]に「謀思するなり」とあり、謀に「難を慮るを謀と曰う」とあって、ほとんど互訓。

(白川静  『字統』より抜粋)

とあります。「謀」は木の枝に祝禱を収めた器をつけて神に捧げ、神意を問い謀る意とされ、あるテーマに対して、その対処を神に問いかけて解決策を探ることで、その行為が「慮」に通じます。

「慮」も「憶」と同様、神意に至ろうとする思考の作用ですが、純粋に神の訪れを感じようとする「憶」とは異なり、対処すべきテーマに対して深く思考することが「慮」だろうと思います。

 

『論語』には、

君子謀道不謀食、

君子は道を謀りて、食を謀らず。

(論語  衛霊公第十五)

とあります。道は心を養うものであり、食は身を養うもの。道と食はどちらも生きるために考えなくてはならないテーマではあるが、君子は道を謀ることを第一とし、食を得ることを謀ることから始めることはないとします。

 

念 – 常に心中に深く念う作用

「念」は「経念」、「敬念」という古い用法があり、現代でも「念仏」といったように使用されますが、

【念】[説文]に「常に思ふなり」とする。(中略)心は心臓の形。今は中のものを閉じこめる蓋で、心中に深く思うことを念という。

(白川静  『字統』より抜粋)

とされます。つまり、「念仏」はただお経を読む行為ではなく、「仏を常に心中深く念う」ことです。多くの「おもう」作用が外にあるものに対して働くのに対して、「念」は自らの内にあるものを反芻し、高めるような作用だと感じます。

 

脳(囟)と心から発する作用である「おもう」という行為は、1つの字で表現できるほど単純なものではなく、いくつもの作用が絡まりあった複雑なものだろうと思います。

白川静が憤慨し、嘆息したように漢字の文化は失われつつあるという側面がありますが、この複雑な作用を脳科学が解明し、「おもう」という字義が改めて解明されて、文化の輝きが再発見されれば、それはとても楽しいことだと思います。

 

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