王 – 理想を現実に実現する者

【王】大きな鉞(まさかり)の刃部を下にしておく形。王位を示す儀器として玉座の前においた儀礼用の鉞で、その遺器と思われるものがある。

(白川静  『字統』より抜粋)

政治家がおり、軍事力があれば統治が成り立ち、生活が保てるのであれば、「王」は不要と考えることもできます。しかし、世界・社会を機能で分解するのは西洋的な思考で、やはり世界を統合する「王」がなくてはならないと私は思います。

 

天地人を一貫させる者が王

「王」という字は王位の象徴である「鉞」の形とされることが多いですが、王は政治・社会と密接に関わる存在であることから、様々な解釈が見られます。

許慎の『説文解字』には、

三なる者は天地人なり。而して之を参通する者は王なり。

とあり、「王」という字に含まれる三本の横線の内、1番上のものを「天」、1番下のものを「地」、真ん中を「人」と解釈して、縦の一線がそれらを統合する。天地人を一貫させる者が「王」であるという思想が見られます。

 

「天」は理想であり、「地」は現実であり、「人」は実現です。理想を現実の上に実現する者、少なくともそれを実現しようとする者が「王」であり、複雑矛盾な現実世界を統一統合していく者が「王」です。

また、「王」と「往」の音は通じ、「天下を往く者」が王であるとすることもあります。「王は往って正す者」であり、「征」の字にも通じます。それは徳によって治める道であり、力によって治める覇道に対して王道と呼ばれます。

 

天理、人心に在りて亡ばず

王陽明は聖人の学・王道が衰えたことを嘆きつつ、

所幸、天理之在人心、終有所不可泯、

幸いとする所は、天理の人心に在るや、終に泯(ほろぼ)すべからざる所有り。

(王陽明  伝習録  顧東橋に答ふる書)

という言葉を遺しています。天理は人の心の中にあり、決して亡びることはない。理想を求める心があるから、悲しみ、痛み、また憤することもある。

 

理想を現実に実現する者が「王」であれば、我々はすべからく「王」でなければならないと思います。どれだけ大きな理想を実現できるかはもちろん人によって異なりますが、「王」たろうとする心は共通でなくてはならない。

 

より大きな理想の実現に邁進できる者がより尊く、職業の貴賤は本来、その尊さによって決まるものだと思っています。

功名名利を求める風潮は王陽明が生きた宋の時代でも甚だしかったということですが、その構造は現代でもまったく変わらないと感じます。

 

王たる精神で矛盾を統合していく

世の中は理想だけで解くことはできず、渾沌であり、矛盾に満ちています。その世界を受け入れて統一統合していくのが三種の神器の1つ、天叢雲剣の徳ですが、その精神は「王」の精神でもあります。

古代中国では剣は王族のみに所有が許されていたそうです。剣は正しく用いられれば、まさに王道を実現しますが、一方で妖力があるともされ、王のみが用いることができます。(宮城谷昌光 『太公望』を参照)

 

分析理解、機能の分解によって解くことができる問題も多くあります。ただ、分解は万能でない。というより、自然ではないと私は思います。分析理解・分解されたものは、統合され、現実世界の中で現出されなければならない。

 

人は多少の矛盾は許容できます。分析的なアプローチでも、矛盾が許容できる範囲内であれば運営は可能です。しかし、大きな問題を解こうとする場合、やはり矛盾を矛盾のまま統一統合する徳が必要です。

すべてが機能で分解され、矛盾なく運営できるのであれば、機能を果たす機械(政治家や従業員など)がおれば良く、「王」は不要です。しかし、どれほど政治手法や経営手法が発達しても、人が自然の産物である以上、やはり「王」は必要と私は思います。

 

そして、「王」は国や組織のみでなく、家庭や個人においても必要なものだと思います。

 

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