生異なるに非ざるなり

君子生非異也、善假於物也、

君子は生異なるに非ざるなり、善く物に假ればなり。

(荀子  勧学編  四)

『荀子』には思索・努力の積み重ねを重視した論が多く見られますが、ここでは現実的な段階について述べられています。

 

最終的には自らの思索がすべてを生み出す根源になるのだと思いますが、鍛錬が不十分なまま思索をしても、遅々として進まないことがよくあります。

それについては荀子自身の体験という体裁で、「一日中思案したが、(師から)少しばかりの時間で学んだことに及ばなかった」と著されています。

 

「学問」はその字からも分かるように、「問い」を発することから始まります。

本質的には、それは自らへの問いなのだと思いますが、「まず、人に問うということも覚えなさい」ということを、『荀子』は教えてくれているのだと思います。

 

「君子は生異なるに非ざるなり」というのは、さすがに『荀子』らしい表現で、その一歩として「善く假りる」という段階を示してくれていることは、私のような凡人には勇気を与えてくれると感じます。

 

ただ、実践を試みると、「善く假りる」ということも才能や工夫の必要なことだなと感じます。

真摯に学ぶという心を持つことが、まずは大切だと思う今日この頃です。

 

論語の活学―人間学講話
安岡 正篤
プレジデント社
売り上げランキング: 28337

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です