一人の情是なり

千人萬人之情、一人之上是也、

千人萬人の情は、一人の情是なり。

(荀子  不苟編  十)

どういうわけか、人は偉くなると、とかく民衆の感情や情想をまとめて捉えてしまいがちです。ここでご紹介した一節は、上に立つ人間に地に足をつけて指揮を執るべきであることを教えてくれる、貴重な教訓と感じます。

 

組織に属すると、つい一人一人の感情に思いが及ばず、何でも仕組みで解決しようと考えがちですが、千人萬人の情というものは本来なく、それはあくまで一人の情の集まりです。

もちろん、上に立つ人間は千人萬人の情に応える必要がありますが、それはあくまで便宜上の問題で、人情を理解するということは一人を理解することを飛ばして行うことはできません。

 

有名なミルグラム実験スタンフォード監獄実験では、人間は役割を与えられると人格を失うことが証明されており、組織を構成するということはある意味で「非個人化」を促す行為です。

そもそも、社会とは多様性を善としながら、本質的には「非個人化」によって維持されているのだと思いますが、もしそうだとしても人間は情で動くものであり、一人の情、身近なところでは自らの情を理解することが為政者としての第一歩だと思います。

 

単純に言えば、自分が嫌なことは他人も嫌である可能性が高く、自分が嬉しいと思うことは他人も嬉しいと思う可能性が高い。そういう真心と思いやり、儒教でいうところの「忠恕」が、社会の中で生きる上では何よりも基本であろうと感じます。

 

千人萬人の情を一人の情と説くのは、何も『荀子』に限ったことではなく、戦いを人間同士のやり取りとして兵法を完成させた『孫子』も同様の感覚を持っていたと感じます。

孫子』はそれまで、天・地・人によって決すると考えられており、神々の入る余地の大きかった戦いについて、「天地は双方の上下に等しくある」ものとし、天地の理を説いた上で、「人」を戦いの中心に据えています。『孫子』の兵法は、一対一の戦いから国同士の戦いまで、応用範囲が非常に広いと感じます。

 

また、伝説的な強さを誇ったとされる剣豪、宮本武蔵は『五輪の書』の中で、

一人の敵に自由に勝つ時は、世界の人に皆勝つ所なり。

合戦の道、一人と一人の戦いも、万と万との戦いも同じ道なり。心を大きなることになし、心を小さくなして、よく吟味して見るべし。

(宮本武蔵  『五輪の書  地の巻』より抜粋)

と説いています。私の武道の師は、これを以て「一人の剣、千万人の剣」と教えてくださったことがあります。

 

少し話が逸れましたが、ともあれ、身近な修養、真心と思いやりを忘れることなく、生きていきたいものです。

 

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