荀子要覧(人物・哲学・思想のまとめ)

荀子名は況、また孫況、孫卿と言う。戦国末、趙の人。伝記は史記孟子荀卿列伝などにある。後年、斉に赴き、稷下にて老師として尊敬され、次に楚の春申君に重用されて蘭陵令となり、遂に此処で死んだが、其の間各地を遊説したという。

(東京大学中国哲学研究室編  『中国の思想家』より抜粋)

荀子は古い郇(じゅん)という国の公孫(公族の子孫)の出身であったため、「郇」(略して荀)、または公孫であることから「孫」と名乗ったと言われています。名前は「況」ですが、尊敬の念を込めて「子」または「卿」と呼ばれます。

ただし、「荀」と「孫」、「況」と「卿」の音が似ていたため、どちらも使われたという説もあります。いずれにせよ、荀子が生きた戦国時代においては孫子または孫卿と呼ばれることが多かったようです。

 

荀子の生涯

趙、斉、楚はいずれも戦国時代に覇権を競って争った戦国七雄と呼ばれる国々ですが、斉は太公望が封ぜられた国であり文化国家として有名です。

斉はある時期、優秀な学者を多く抱えて養っていましたが、その学者が集まった場所を稷下と呼びます。荀子はこの稷下で三度、祭酒(長)になりましたが、讒言によって稷下を去ったと言われています。

 

その後は戦国四君の一人である、楚の春申君に使え、蘭陵という地の令(長官)となりましたが、春申君が暗殺された後は隠遁生活を送ったとされます。

荀子は長生きで、秦の始皇帝が天下を統一する少し前まで生きており、九十余歳で没したと言われます。

 

荀子の思想

孟子の「性善説」に対して、荀子は「性悪説」を唱えたとされ、この「性悪説」が世の中で最も有名な彼の思想ではないかと思います。

人之性悪、其善者偽也、

人の性は悪、其の善なるものは偽なり。

(荀子  性悪編  一)

「性善」に対して「性悪」は語感が悪いこともあり、「性悪」の意味が十分に理解されないまま、言葉だけが広まっている印象もあります。

 

「性悪」は極めて現実主義である荀子の思想の一端であり、

人の性は放っておくと自己中心の利欲を欲しいままにして、他の利害を顧みなくなり、そこに争奪が起こるゆえに、努力によって人格を磨かなければならない。

というのがその真意だと捉えています。

 

その意味では「藍より青し」、「功は舎めざるにあり」などに代表される勧学編、「行かざれば至らず」、「善を見れば」と説く修身編、「迷う者は路を問はず」と説く大略編などの方がその思想の本質に近いと感じます。

人は努力によって、自らを高めていくべきであるというのが、荀子の思想の根源にあると思っています。

 

それが故に、荀子は「天」という存在を絶対視しません。これは当時の中国人としては、やや異例な考え方です。

天に在るものを慕わず」は人間の可能性に対する信頼を表しており、それは裏返すと「天を怨むべからず」となります。つまり、成功の本質も失敗の本質も、自らの中にしかないと教えます。

 

この絶対的な信頼感が人々にとって励みにもなり、苦言にもなると感じます。

 

荀子の弟子

荀子に学んだことがある人物として最も有名なのは、秦の始皇帝を輔けた李斯と、その李斯の讒言によって不遇の死を遂げた韓非子ではないかと思います。

 

韓非子は法家の代表人物で、東洋の帝王学として名高い書を残していますが、その優秀さを知っていた同門の李斯は、韓非子が自分より重く用いられることを避けるため、讒言によって韓非子を遠ざけたと言われます。

ちなみに、荀子が人の「性悪」を「礼」によって抑制しようとしたのに対し、それを「法」によって達成しようとしたのが韓非子と言われることもあります。

 

なお、宮城谷昌光の小説『奇貨居くべし』においては、始皇帝の父ともされる呂不韋も荀子に学んだことがあるとされています。

実は、私が荀子の思想に興味を持ったのはこの小説がきっかけで、決して折れることのない、透徹した人間観を持つ荀子の思想に勇気づけられる作品だと思っています。

 

主な哲学・思想のご紹介

本サイト内でご紹介している内容を中心に、『荀子』に登場する主な哲学・思想をご紹介したいと思います。

勧学編

『荀子』の冒頭に配置される編であり、人間の無限の可能性を信じて修身を説く荀子の思想の出発点であると同時に、終着点でもある「勧学」について説いた編です。

「性悪説」があまりに有名なため、『荀子』は性悪編から始まると誤解されていることもありますが、性悪編は全三十二編のうちの二十三番目に配置されているに過ぎず、あくまで『荀子』は「勧学」から始まります。

学問・修養の必要・目的・方法・効果などが諄々と述べられており、荀子の熱血とも言えるほどの熱い想いを感じます。

藍より青し

勧学編の冒頭に登場する一節です。「出藍の誉れ」の語源としても有名で、学問・修養を道半ばで止めるべきではなく、無限に超えることを目指すことを教えます。

功は舎めざるにあり

「十駕の術」の語源としても有名な一節です。「藍より青し」と同様、不断の努力のみが成功につながると教える、勇気をくれる一節です。

近づくより便なるはなし

安岡正篤も同様のことを説いていますが、書物の学問ももちろん大切ですが、やはり学問は実践、実際の人に即していなければならない。そのため、学問をやるというときにはその人に近づくべきであるという教えです。

近づくというのは、単純な物理的距離の話ではなく、心から親交し、寄り添うということが重要だと捉えています。

君子の学ぶや、動静に形る

立派な人物の学問は、ただ知識を得るものではなく、心・身体にまで染み込ませていくようなものである。一方で、耳から入ってきた事柄を、すぐに知ったように言ってしまうようなのはつまらない人であるとします。

学問・修養に励む上での大切な心がけを教えてくれます。

百発も一を失すれば

やり遂げなくては何事も意味はない。非常に峻厳で、かつ、とても大切な教えです。学問・修養、また、事業を為すという側面においても、本質を突いていると感じます。

修身編

勧学編に続く編であり、身を修めることの必要性・心構え・方法・効用などが説かれています。「勧学」に「修身」が続くのは、とても自然な流れだと感じます。

善を見れば

修身編の冒頭に現れる、修養の実践方法を端的に説いた一説です。つまり、善い行い見れば、身を正し慎んで自分を振り返り、善くない行いを見れば、憂い慎んで自分を省みる。

単純ながら、身につけて実践すべき態度です。

行かざれば至らず

個人的には、『荀子』の中でももっとも好きな一節の一つです。近い/遠い、易い/難いに関わらず、行かなければ到達しないし、やらなければ成功はしない。

世の中のほとんどの事柄は、それ以上でもそれ以下でもないのだと思います。

天論編

天は確かに存在し、常に運行し、理を持っているが、天行は人事とは一切関係ない。荀子独特の天地観が説かれる編です。

人は人事を尽くすべきであり、努力を怠らず、徳において欠けてはならない。それが人の根本であることを説きます。

本を彊めて用を節す

天論編の冒頭で説かれる、荀子の哲学です。つまり、本業(ここでは農耕を指す)に努め、きちんと節約すれば、いかに天と言えども貧窮させることはできない。

同様に、きちんと環境を整備して正しい生活習慣を持てば、病になることはなく、修養して道を踏み外すことがなければ、災禍もその人を滅ぼすことはできない。これが荀子の思想です。

天を怨むべからず

上記のような法則をまとめた表現が、この一節です。すべては人事の結果であり、それが道理である。それなのに、どうして天を怨むなどということになろうか、と。

天に在るものを慕わず

そこで、君子は己の中にあるもの、己という小宇宙を敬い、無限の可能性を追求する。神や幸運といった、己の外にある「天」を恃んだりしない。荀子の天地観がよく表現された一節です。

宥坐編

有名な「宥坐の器(宥座の器)」が登場する編です。内容としては、荀子やその弟子が記録した様々な語(主に孔子の言葉)が収録されています。

宥坐の器

編名にもなっている一節で、中庸の教えとも感じます。満ちることと覆ることは表裏一体であり、また、足りないことと傾くことも通じている。

では、どう生きればよいのか。生きるということに対して、問いを投げかけ続けてくれる、貴重な訓戒です。

幼にして学を強むる

こちらも、儒教が理想とする生き方を教える一節です。つまり、未熟なのに学ばない、年齢と経験を重ねても若い人に教え伝えるべきものを持たない、また、持っていてもそれを教えないというのは、大いなる恥である。

こちらも、生き方に貴重な示唆を与えてくれる一節です。

 

ここでは、どちらかというと個人の修養に関する教えを取り上げましたが、ここでご紹介したもの以外にも「変に応じて窮まらず」、「治人ありて治法なし」、「一人の情是なり」などは、組織・政治に関する荀子の思想を知ることができ、個人的にも気に入っている一節です。

ご興味を持たれたら、他の記事や原典も是非ご覧になってみてください。

 

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瑞月
四国の香川県出身。細々としか続けておりませんが、合気道と剣術を少々しております。漢学教室で学習した内容の発信も行っています。

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