養生の道は恃むを戒しむ

養生の道は恃むを戒しむ。わが身のつよきを恃み、若きを恃み、病の少いゆるを恃む。是みな、わざはひの本也。

(養生訓  巻第二  七)

『養生訓』は江戸時代の儒学者、貝原益軒が著した健康・長寿を保つための心構えや具体的な生活・食事法に関する書です。もちろん、内容が古い点もありますが、現代においても非常に示唆に富む書です。

 

「薬あり、毒を好め」ではいけない

浄土真宗の開祖である親鸞の書簡を集めた『末灯抄』には、

煩悩具足の身なればとて、心にまかせて、身にもすまじきことをも許し、口にもいうまじきことをも許し、意にも思うまじきことをも許して、いかにも心のままにてあるべしと申しあうて候うらんこそ、かえすがえす不憫に候え。酔いもさめぬ先になお酒を勧め、毒も消えやらぬにいよいよ毒を勧めんごとし。

「薬あり、毒を好め」と候うらんことをあるべくも候わずとこそ覚え候。

(『末灯抄』より抜粋)

とあり、親鸞も嘆息していますが、「薬あり、毒を好め」とはなんとも本質的な指摘だと感じます。ただ、目の前の快楽に従って、自身は自由を得たというのでは、何にもならない。

 

眼前のものしか目に入らず、目に見えるものを恃んでしまうのは人情ではありますが、

刃の鋭きを恃んでかたきを切れば、刃折る。気のつよきを恃んでみだりに気をつかへば、気へる。脾腎のつよきを恃んで飲食・色欲を過ごさば、病となる。

(養生訓  巻第二  七)

というのは自然の道理だろうと思います。人の身体だけでなく、自然とはそういうものであり、国や組織もまた、この道理に従うと感じます。

 

養生の道は元気を養う事のみ

「元気」という言葉は『易経』から採られており、大いなる乾元至れる坤元により万物の創造の源(元)となる気です。

孟子』では「浩然の気」ということが言われますが、『養生訓』でも「元気を養う」ということについて述べられています。

人、毎日昼夜の間、元気を養ふ事と元気をそこなふ事との二つの多少をくらべ見るべし。衆人は一日の内、気を養ふ事は常にすくなく、気をそこなふ事は常に多し。養生の道は元気を養ふ事のみにて、元気をそこなふ事なかるべし。もし養ふ事はすくなく、そこなふ事多く、日々つもりて久しければ、元気へりて病生じ、死にいたる。

この故に衆人は病多くして短命なり。かぎりある元気をもちて、かぎりなき欲をほしいままにするはあやし。古語に曰く、「日に慎しむこと一日、寿(いのちながく)して終に殃(わざわい)なし」。言心は一日々々をあらためて、朝より夕まで毎日つつしめば、身にあやまちなく、身をそこなひやぶる事なくして、寿(いのちながく)して、天年をおはるまでわざはひなしと也。是、身をたもつ要道なり。

(養生訓  巻第二  十三)

「薬を以て毒を癒す」はどちらかというと西洋的です。東洋では元気を養う。自然の運行に沿えば、天寿が全うされると考える。

 

「養生の道は元気を養う事のみ」とは言うは易く、行うは難しと感じる教えではありますが、意識すべき言葉です。貝原益軒も己を愛しすぎることを戒めています。道を愛し、楽しむことが肝要と感じます。

 

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