廟堂に立ちて大政を理するは

廟堂に立ちて大政を理するは、天道を行ふものなり。故に公平無私、正道を踏み、賢人を採り、能く其職に任ふる人を用いて政柄を執らしむるは、則ち天意なり。

故に真に賢人と認むれば、直ちに我が職を譲るの誠心なかる可からず。如何に国家に勲労あるも、其職に任へざる人を、官職を以て賞するは甚だ誤れり。官は其人を選びて之を授け、功有れば之を賞し、之を愛すべし。

(西郷隆盛  『大西郷遺訓』)

『大西郷遺訓』の冒頭に現れる、無私の人である西郷隆盛の思想が凝縮されていると感じる一節です。

 

「真に賢人と認むれば、直ちに我が職を譲るの誠心」も無私の心から発するからこそ金言と感じます。しばしば、自らの度量を示すために人を用いるなどということもありますが、これは我を張っているに過ぎず、政を正すことはできないと感じます。

そうではなく、公のために人を用いるということ。それを西郷隆盛は言っているのだと思います。まさに「生命も要らず、名も要らず」という境地ではないかと感じます。

 

西郷隆盛の弟、西郷従道があるときに、

「隆盛がよく申しておりましたが、大隈重信には教育のことを授けてはならぬ。また井上馨には、決して財政のことを任せてはならぬ。と、かように申しておりました。」

と言っていたという話が残っています。

大隈重信は教育で、井上馨は財政で名を馳せた人物ですが、西郷隆盛から見ると、公私の別を知らない、自らの栄達を考える小人に見えたのかもしれません。

 

井上馨に対しては、

「井上さん、あんたは三菱の番頭になられてはどうでごわす。」

と言ったことがあるそうですが、井上馨は金を貯めるのが得意な人物であり、国家財政の重責を担う器ではないということでしょうか。

 

西郷隆盛は議論をしても黙って相手の言い分を聞くだけ、罵られても黙って聞いて頭を下げ、西南戦争の際も蹶起に反対していたにも関わらず子弟が行動を起こし、これを止められないと思うと嘆息し、ついに故山の露に消えます。

罵られた相手には、後に「あれだけ優秀で想いがある方がいれば、安心」と言い、相手を恐縮させたという逸話が残っています。すべてが真実ではないにしても、それだけの大人物、国家百年の計を見据えた達人達観の人であったことは間違いないと、私は思っています。

 

「選びて之を授け、功有れば之を賞し、之を愛すべし」。人を用いるとは愛することを含む。これもまた、極めて本質的な教えです。

 

西郷隆盛は、日本人として誇るべき人物の一人であり、学び、目指すべき人であると思っています。

 

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